名主事務所の開設については、尻岸内町史年表に次のように記述されている。
「1837年(天保8年)6月、尻岸内に名主事務所を置き、従来の頭取という職名を名主と改む。名主の給料は年額5両とし、帯刀を許され席順は小安村の次席とされた。」この事については記述された文書によるものなのか、明治・大正の頃の聞取りなのか、定かではないが、『町村制度考 長尾元長編』に「尻岸内は天保年間、名主と改称す」とあるので、この年、あるいはこの頃、頭取を名主と改称したのを機会に事務所も開設したのではないかと推察する。
なお、字恵山の興徳山豊国寺に、その前身である根田内の地蔵庵創建時の「棟札」が保存されており、これには、文化8年(1811年)尻岸内御会所 村岡清九良(清九郎)と記され、名主事務所が会所(運上屋に併置)内にあったことが確かめられる。