先にも触れたが、大正期には『尻岸内村郷土誌』が編纂され印刷・発行されている。
いわゆる町史(村史)としての初めてのものと思われる。大正2年6月30日印刷、同年7月5日に発行されている。発行者は尻岸内村教育会、代表者 砂山武俊(村長)と記されて、編輯者は当時、古武井小学校長を務めていた大西高尚である。
この郷土誌の構成は、第1編の自然界と第2編の人文界からなり、自然界では地界及び水界、気界、動物界、植物界、鉱物界・古武井硫黄山・恵山及び其硫黄鉱とあり、第2編の人文界では、文界、教化、制度、各地に至る距離となっている。また、この郷土誌の冒頭には『尻岸内郷土歌』が掲げられている。
第2編の人文界については先に記した「沿革史」よりの抜粋が主であるが、第1編の自然界については、明治36~45年までの資料(数値)を元に、あるいは実際に調査したと推測できる内容など非常に興味深いものがある。従って、それらの概略については資料編に掲載することとして、ここでは、本誌より冒頭の『尻岸内郷土歌』を紹介する。
先に述べたが沿革史の冒頭には制定された『村徽章』が掲げられている。この村章や郷土歌の設定は、大正期に入り村行政の方針・施策を“もの(インフラの整備)から、こころ(愛郷精神の喚起)へ”と発展させたいという願いがあったのでないかと推測する。
『尻岸内村郷土歌』 唖 蝉 作詞
玉 川 作曲
1 位置 北海道の西、南 函館を距る十一里
我が友ここに五千人 あな頼母しの郷里かな
2 日浦 原木峠に汗をあび 日浦の里の睦まじく
深き誠はわが村の 鑑としてぞ称へつる
3 尻岸内 日浦と峠に息を切り 八幡郷社に参拝し
昔を語るメノコナイ 女那川の奥 森深し
4 硫黄山 魚付山を鉄索に 縋りて越せば硫黄山
軌道の人馬織る如く 産額我が国一と聞く
5 古武井 地方往来の要路たる 古武井の家数頓に増し
汽船の通い絶間なく 役場もここに移しけり
6 根田内 七つ岩根を右に見て 懸れる巌や磯づたい
磯やの温泉底澄みて 濁る心も清まらん
7 恵山 棚引く躑躅に攀(よじ)登り 白煙渦まき地は震う
恵山の一眸太平洋 身は九天の上にあり
8 産業 昆布の採収賑わしや 烏賊釣る光海に満ち
鰛を網引く掛け声に 鱈釣船の真帆片帆
9 眺望 津軽海峡 潮早く 彼方に招く恐山
尻屋の灯台 煌きて あな潔よの景色かな
10 結尾 心を鍛え身を錬りて 村の風紀を振わさん
家の富をば殖せかし 皆諸共にいそしまん
なお、郷土歌の作詞「唖蝉」は、大西高尚のペンネームと思われる。また、作曲者は、北海道師範学校教諭、玉川先生と記されている。