大正期の歴代上席書記(助役)

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中西栄次郎書記(大正2年7月17日~同7年5月13日)
 中西栄次郎は松前郡大沢村の出身、明治31年大沢村外二ケ村戸長役場に筆生(書記)として奉職、同44年4月銭亀沢村役場へ転任、大正2年7月11日尻岸内村書記として赴任、後住吉上席書記の後を受け上席書記となる。砂山・福士村長を助け職務に専念、同7年5月13日大島村役場へ転出する。
 
渋谷勘太郎書記(大正7年5月13日~同8年1月23日)
 中西上席書記の後任として赴任した渋谷勘太郎は、青森県西津軽郡柏村の出身、日清戦争に従軍し除隊後、明治31年2月西津軽郡役所に奉職、同34年5月木造町助役に当選したが、翌35年7月退職、日露戦争に従軍第3軍に加わり大陸に転戦、陸軍歩兵曹長に任官、除隊後の同39年7月樺太民政省に勤務、同年12月退職して浪人。同43年2月夕張郡長沼村役場に勤務後、大正5年4月札幌郡篠路村・同年12月千歳郡千歳村と歴任、同7年5月13日福士村長の下、尻岸内村首席書記を命ぜられ赴任、戸籍・兵事の事務を主管するが、1年たらずの大正8年1月23日付で落部村書記に転任を命ぜられる。
 
細田甚之助書記(大正8年1月23日~同13年7月31日)
 問題のあった渋谷上席書記の後を受けて赴任した細田甚之助は秋田県山本郡藤琴村出身、明治31年6月根室地方裁判所に勤務、同35年2月同裁判所を辞し、上川郡熊牛村外四ケ村戸長役場に奉職、以来、釧路町・亀田村・砂原村・鹿部村・落部村各役場を歴任、大正8年1月23日尻岸内村首席書記を命ぜられて赴任。戸籍・兵事・庶務・財務・勧業・統計と広くその事務を担当する。
 細田は上席書記(助役)として、福士賢次郎・藤原覚因・斎田巳之助・武石胤介、4代の村長の、いわゆるよき女房役として仕え村行政に貢献すること大であった。
 
嶋谷藤吉書記(大正13年7月31日~昭和3年4月11日)
 嶋谷藤吉は留萌郡留萌町の出身、大正2年12月、陸軍衛生下士官(曹長)同4年11月現役満期につき除隊。同9年10月中川郡豊頃村役場・同11年11月枝幸郡頓別村役場に奉職、その間、戸籍・兵事・勧業・財務などを担当、その手腕を認められて、同13年7月31日尻岸内村首席書記を命ぜられ赴任。上席書記としての評価の高かった細田の後を継ぎ、武石・菅原両村長の施政を扶(たす)け、十倉村長に仕えること数か月で荒木書記に席を譲り転任する。(転任先、資料なく不明)