[地方行政の民主化・『地方自治法の制定』]

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 これまで述べてきたように、敗戦という未曾有の混乱の中で、村行政は即解決しなければならない多くの問題に直面した。それもこれまでに遭遇したことのない様々な事象・事態であり、行政の規範(法令や規則・慣例など)のないままでの対処であった。
 戦後の地方行政の規範となる地方自治法が制定されたのは、昭和21年(1946年)9月のことである。まず、東京都制・府県制・市制・町村制の改正が行なわれたが、施行してみると、知事を公選しておきながら任命を官吏とするなど、その具体化で旧制度のままとなっているなど、住民自治(民主主義)の基本的な考え方からかなり隔たりのあるものとなっていた。そこで、同年10月、改正のための地方制度調査会を設け、その答申に基づいて地方自治制度制定の運びとなった。
 そして、翌22年5月3日施行された日本国憲法には、地方自治法の基本的な在り方が示され、それに基づく戦後の新しい『地方自治法』が新憲法と同時に発足した。
 なお、旧憲法(明治憲法)時代の地方自治制度は、憲法とは直接関連はなく、ただ、府県制・市制及び町村制という法律のもとに構成されていた。天皇を主権者とする明治憲法のもとでは当然であったが、主権在民の新憲法下では、自治権の基本は憲法に由来するものであることが明確に示されている。
 つぎに、地方自治法に関連する法令等について記す。
 
 『憲法 第八章 地方自治』
第九二条 地方公共団体の組織及び運営に関する事項は、地方自治の本旨に基いて、法律でこれを定める。
第九三条 地方公共団体には、法律の定めるところにより、その議事機関として議会を設置する。
     二 地方公共団体の長、その議会の議員及び法律の定めるその他の吏員は、その地方公共団体の住民が、直接これを選挙する。
第九四条 地方公共団体は、その財産を管理し、事務を処理し、及び行政を執行する権能を有し、法律の範囲内で条例を制定することが出来る。
第九五条 一の地方公共団体のみに適用される特別法は、法律の定めるところにより、その地方公共団体の住民の投票においてその過半数の同意を得なければ、国会は、これを制定することができない。
 
地方自治法下の『財政制度』
 地方自治法は新憲法の附属法典として、戦後の新しい事態に即応するための改革の1つとして(昭和22年4月17日法律第67号)公布された。
 これは、第一に地方公共団体の自主性と自律性を強化し、第二に地方公共団体の住民による自治の実現をはかり、第三に地方自治行政の運営における公正と効率の確保を期する、という3つの原理によって成り立っている。
 
 〈この改革によって財政制度も設けられた〉
①収入役の職務権限は、現金及び物品の出納及び保管並びこれに付帯する事務
②収入役の職務が適正に行われるよう、町村長は監督上の責任からもこれに必要な職員を配置して事務に従事させる。
③収入役は議会の同意を得て選任され、任期は4年である。
 以上、収入役についての職務を規定し、財務事務では「暫定予算」の制度を創設、地方公共団体の長の「専決処分」の規定を改正したが、殆ど旧制度をそのまま踏襲したものであった。
 
 〈第1次改正(昭和23年1月1日施行 法律第169号)〉
 この改正では地方自治法の趣旨とするところをさらに拡充し、その自主的活動を促すという点を狙いとした。
①収入役事故ある場合の職務代行者を置くべきこと。
②事務に関する手数料は必ず規則で定めること。
③地方債は地方公共団体の自主性を尊重し、建て前として所轄行政庁の許可を要しないこと。(但し、当分の間従来通り許可を要する。)
④町村に事務の委任をする場合、その財源について必要な措置を講ずること。
 
 〈第2次改正(昭和23年7月20日施行 法律第179号)〉
 この改正では地方議会の権限を一層拡充し、地方自治運営上の腐敗を防止し、その公正を保つための住民の政治参与の範囲を拡張することなどが行われた。
①財務事務執行への監視機構を強化すること。
②地方公共団体の財産や建物などの独占的利益を与えるような処分、あるいは10年を越えるような独占的使用の許可には住民の賛否投票、あるいは3分の2以上の議会議員の同意を得ること。
③分担金の徴収には必ず公聴会を開かなければならない。
④違反又は不当な処分行為を制限、あるいは禁止する旨の請求権が認められること。
⑤地方公共団体が経費を支出する義務を負うのは、その固有事務と法令による費用負担の規定されたものに限ること。
⑥国と地方公共団体との間における基本原則を明らかにすること。
⑦教育委員会発足により財務事務を二元化すること。
 
 〈第3次改正(昭和25年5月4日施行 法律第43号)〉
 この改正とともに関係法令も同時に施行された。
①督促手数料のほか延滞金を徴収することが出来ること。
②保管する現金又は物品の亡失、あるいは損した場合、監査委員の監査の結果に基づいて賠償させること。
③監査委員は財政援助を与えているものの、出納やその他の事務の執行を監査できること。
 
 〈第4次改正(昭和27年8月15日施行 法律第306号)〉
 この改正では、町村の組織運営を自主的に決定できる範囲を広め、またその簡素化、能率化によって住民の負担を軽くし、さらには町村の規模の合理化を図ることを狙いとした。
①歳入歳出予算の調整、議会への議案の提出などの事務は、町村長が統括するものであること。
②監査委員の機能を強化すること。
③当初予算審議に必要な期間をもつため町村は20日前まで予算を議会に提出すること。
④公共事業(工事)に関する前払金の特例を設けること。
⑤地方公営企業法が制定(昭和27年8月1日 法律第292号)されたこと。
 
 〈第5次改正〉
 諸般の事情から議会提案までに至らず、作業のみに終わる。
 
 〈第6次改正〉
 この改正案は地方財政再建促進特別措置法とともに提案されたが、審議未了となった。
 
 〈第7次改正(昭和38年6月8日施行 法律第99号)〉
 この改正では、従来あまり触れなかった地方財政制度に、大幅な改正がみられた。
 改正のねらいは、新時代の住民生活の要請に応える事務処理体制の近代化に置いた。
①財務制度の全面改正にともない、議会の権限、長の職務権限、収入役の職務権限、監査委員等に関する規定を整備し、議決機関と執行機関との間の合理的権限の分配を行う。
 特記されるものに、重要な契約の締結、財産取得・処分についての議会の関与を合理化し、収入役の職務権限の拡充をはかり、市町村に監査委員を必置制としたことが挙げられ、財務事務についての規定も大幅に改正された。
 
地方自治体と関係法令
 先述のように地方自治行政の基本を定めた「地方自治法」は国会法、裁判所法、内閣法等とともに『憲法附属法典(最も重要な基本法)』であるとされ、憲法施行の日、すなわち22年5月3日に施行された。そして、さらに、この「地方自治法」を中心として関係法、公職選挙法・地方公務員法・地方財政法・地方税法・地方交付税法など地方公共団体の基本的一般的な事項を規律した法律、特殊部門を規律する地方公営企業法・教育公務員特例法・警察法・消防法・消防組織法・農業委員会法・漁業法・労働組合法などが順次制定された。
 戦後における地方自治制度の法体系は「住民の権利の拡充、地方公共団体の自主性、行政運営の公正と能率化」を原則として急速に整備されていったのである。
 
行政に住民の権利拡大
 地方公共団体(都道府県・市町村)は中央政府の下部機関として存在しているのではない。その地方住民のために存在する。
 新憲法では国民主権が3原則の1つとして貫徹し、国の政治に民意を反映させるために、多くの公職を公選制とし、国民の参政権を拡充(婦人の参政権、選挙有権者の年齢制限の引下げ等)した。地方公共団体においても当然のごとく住民の権利は拡大していった。
 この憲法施行の前年昭和21年には、都道府県知事、市町村長の直接選挙を含む地方制度の大改革がおこなわれた。特に住民の権利拡大をはかったのは議員と首長の選挙である。地方公共団体では行政の長(知事)・市町村長つまり執行機関と、議決機関(議員)とを直接選挙する。従来の地方制度や現在の国会と内閣の関係にみられるように、執行機関(内閣)は議決機関(国会)の信任によって行政執行をするというものではなく、議決・執行の両機関は、それぞれ住民の直接意志に基づいて対等の立場に立つことになったのである。
 さらに、各種の行政委員会等執行機関への住民の参加、条例制定改廃請求権・事務監査の請求権・議会解散・議員及び長その他主要職員の解職の請求権など住民の請求権は広がっていった。選挙で選ばれた長も、その解職権は住民が握っていたのである。
 行政に対する住民の権利の拡充は、地方自治行政の充実を保障するものであるが、それは権利の正しい行使にのみ裏付けされるものであろう。住みよい暮らしをするためには、いわずもがな、住民自らの双肩にかかっていたのである。
 
教育関係法令の整備
 太平洋戦争遂行に果たした教育の功罪-とりわけ罪については、(GHQは勿論)誰しもが認めるところであろう。国内の民主化立法が相次いで公布される中で、国民の民主的教育の重要性を踏まえ『教育基本法(昭和22年3月31日法律第25号)』『学校教育法(昭和22年3月31日法律第26号)』が公布された。
 教育基本法は、日本国憲法の精神に基づき、憲法の基本的人権、『教育を受ける権利』第26条「すべての国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する」を基底として、第2次大戦後の新しい日本の教育の根本理念を確定した法律である。教育の目標、教育の方針、教育の機会均等、義務教育、男女共学、学校教育、社会教育、政治教育、宗教教育、教育行政を規定する教育法令の基本をなすものであり、義務教育年限を9か年、男女間の差別を廃止、公教育から宗教教育と政治教育を分離、社会教育の重視などを宣言している。
 学校教育法は教育基本法に基づき学校制度の基本を規定した法律で、第2次大戦後の最も大きな教育改革として「6・3・3・4制」(小学校・中学校・高等学校・大学の就学年限)を規定した。この法律は、第1章総則、第2章小学校、第3章中学校、第4章高等学校、第5章大学、第6章特殊教育,第7章幼稚園、第8章雑則、第9章罰則及び付則の108条から構成されている。まず、第1条には「この法律で、学校とは小学校、中学校、高等学校……」と学校を定義し、その種類、名称を定めている。総則では、このほか、学校の設置、管理、教職員などにについて規定している。第2章以下の各学校の章では、学校の目標、教育目標、修業年限、就学(小、中学校)、課程編成、教科、教科用図書、教員などについて定めている。さらに、施行についての細則として『学校教育法施行規則(指導要領)』(昭和22年5月、文部省令第11号)があり、また、就学義務の施行に関しては、『学校教育法施行令』(昭和28年10月31日政令第340号)が定められた。
 この制度(六三制)が施行された昭和22年5月、尻岸内村にも日浦・尻岸内古武井・恵山の各小学校にそれぞれの名称の(新制)中学校が併置された。なお、同年に構成された尻岸内村六三制準備委員会ではこのことを協議、日浦中学校については、名目上設立した。この年尻岸内中学校に統合。古武井中学校・恵山中学校については、両校を統合し学校名を尻岸内村立第二中学校と呼称することに決定はしたが、校舎等の問題から、当面それぞれの小学校校舎で授業を行い、尻岸内村立第二中学校としての創立は、新校舎落成(昭和27年8月23日落成)の年、昭和27年(1952年)4月1日である。なお、東光中学校と学校名を改称したのは、昭和29年2月である。
 このように、戦後の民主化教育の新しい制度を実施していくために、村行政は、財政的に、人事人材の上で、また、その趣旨・ねらいなどを父母や地域住民に理解してもらうために、大変な労力を要した。教育委員会制度やPTA活動なども、この時に組織されたものである。

併置されていた日浦中学校の卒業生(昭和23)