多年の夢とされた水田造成の事業は、昭和36年に始まり同39年には、尻岸内川流域に32ヘクタール余りの水田が姿を現した。だが、農業については、漁家の野菜畑や馬鈴薯や豆類大根などを栽培する兼業農家はともかく、専業農家となると皆無に等しいわが町である。まして、水田耕作となれば、苗代づくりから田植え、刈り入れなど高度の栽培技術や天候の変化を考慮した水田の管理等、経験のない者にとっては相当の難事業である。そのために、役場(産業課)が中心となり関係機関(渡島支庁、土地改良区、農業改良普及所等)と連携を持ちつつ、水田耕作を軌道に乗せるための支援体制を組織する運びとなった。そして、まず、最も有効な手立として、町営の試験田を設け水田農家を招聘し、実際に年間の栽培をとおし指導を受けることとした。
この試験田の稲刈りには、町職員も多数参加したという。