経営の概要

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<経営規模>  事務系職員50余人、労働者約1200人、家族等鉱山に関わる人々を含めると3000人以上を超える人々が、鉱山付近に居住し働いていた。
 
<製品の販路>  横浜を経由して、ほとんどがアメリカへ輸出、また、オーストラリアへも輸出。国内では新潟の硫曹製造会社などへ販売。
 
<輸出額>  明治40年代から大正初期にかけて、わが国硫黄輸出額のおおよそ10分の8(80%)が道内産で占め、その10分の6内外(60%)は、古武井硫黄鉱山の産出であった。(古武井鉱山が、東洋一といわれた所以である)
 
<世界各国の生産高>  イタリア、スペイン、日本、オーストラリアなどが主な生産国。後に、アメリカが世界最大の生産国となる。
 
<わが国の主な鉱物の生産高>  10万円以上のもの 石炭、銅、石油、銀、金、鉄、硫黄、鉛、亜鉛、硫化鉄(金額の多い順)
 
<硫黄の主な用途>  製紙、肥料、染色・漂白剤、硫酸・硫安製造、麦桿(ばくかん)(ストロー)晒用等

山縣古武井硫黄鉱山「中小屋精煉所」


押野古武井硫黄鉱山運搬船「礦運丸」


三井古武井精煉場(大正3年撮影 旧山精煉場 旧押野)


古武井船着場(えさん漁協古武井支所前浜)


押野古武井硫黄鉱山「元山撰鉱場」


押野古武井鉱山「第二青盤精煉所」


押野古武井硫黄鉱山「露天掘」


同上「露天掘」


山縣古武井硫黄鉱山トロッコインクライン(複線)


三井鉱山事務所「双股」(大正3年撮影 旧押野事務所)


山縣古武井牧場「通称牛舎の沢」


押野鉱山「福地鉄工場」


押野古武井硫黄鉱山経営者を迎えて(明治40年頃か)


鉱山神社の祭典・東京大相撲興業(明治40年頃)


鉱山病院の五ノ井医師一家(明治30年古武井にて)


池谷鉄雄氏(古武井生まれ、池谷虎一画伯、父)古武井硫黄鉱山で働いていた人々


[図]

生産組織(鉱山分業の状況)
<坑 夫> 坑夫、手子、支柱手子、坑内車夫
<露頭坑夫> 車夫、切崩し、掻き方
<坑内雑夫> 坑内線路工夫、排水夫、排水掃除、雑役夫
<選鉱夫> 選鉱夫、選鉱雑夫(婦)、洗鉱夫(婦人)
<製煉夫> 製煉夫、薪割、撰鉱夫、運搬夫、在取
<荷造夫> 玉磨き、割り方、玉運搬、荷造り
<運搬夫> 薪材、原鉱、製品
<保線夫> 工夫、雑夫
<土木夫> 土工、大工、木橡、鍛治、石工
<索道夫> 積方、卸方、油差し、火夫
<林業夫> 樵夫、運搬夫、土橇(そり)引、鉄索方、雑夫
<釜築夫> 釜築夫、艀夫