特設電話の架設

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 明治42年(1909)の本邦鉱業の趨勢に、「押野鉱山は通信設備として、山元・古武井浜間延長軽便鉄道に沿い六哩余り(9.7キロメートル)及び索道停車場間(荒砥・青盤)一哩(1.6キロメートル)に特設電話架設に着手せり」と記述されている。これは、業務上の能率化を図るための設備であると同時に、おそらくは朝田鉱山の災害を教訓に、危機管理も含めての設備投資であったのではないか。なお、本村の電話は、管内、全道的にみても早い方だが、鉱山電話設置の5年後、大正3年(1914)3月26日、尻岸内古武井椴法華局同時の開通である。このことからも、近代設備の点で古武井鉱山が相当進んでいたということが推測できる。