・明治5年(1872)開拓使、榎本武揚一行の報告書
・榎本武揚は明治5年出獄して開拓使4等出仕に任じられ、北海道の鉱山調査に従事、北海道硫黄取調書はその報告書で、文中、「予」とあるのは榎本自身と推定される。
・大正7年 尻岸内村史より
『榎本武揚氏、明治五年、旗本の下八人を率いて約一か月根田内に宿泊し、主として恵山の硫黄の採掘につき視察し、傍ら現古武井硫黄鉱山付近及び海岸砂鉄をも試験せられき。一、二年の後(明治六、七年)再び字尻岸内に来たり、鱈肝油を試験製造すること約一か月間にして帰られき。』