渡嶋国亀田郡「シリキシナイ」領古武井澤硫黄取調書

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一、古武井沢は「シリキシナイ」村領に属する周囲四里に及べる一大沢にして善良の砂鉄を産するは即ち此沢口の海浜なり此沢地味膏腴(こうゆ)(土地が肥えている)にして百菜に宜しく水利縦横にして山皆樹木に富めり。加えるに鉄砂を産し、又沢奥に硫黄を出す等実に六場所中第一の良地と称すべし事は同所鉄砂取調中に詳なり。抑も我等嚮者(きょうじゃ)(前に)此地の鉄砂を研究するの次此沢に流るる一条の河を蹈て遡ること二里許にして四山皆大樹多きを見て製鉄の一大助となるべきを喜び兼て又他の鉱物を探討せんと欲し山谷を徘徊せしに更に発見する者なく、加るに村民の予に従い来る者亦一語の硫黄に及ぶこと無りしを以て、遂に空しく帰来れり。後、十数日を経て始て予が引戻りし処より尚一里奥に硫黄を産するを聴き、且つ其堀主は現今箱館居住の薬商石川小十郎なる者なりしを確知せり。是於て石川小十郎なる者を招きて推問し兼又石橋俊勝以下三、四人をして其地探討せしめ其齎し来れる硫黄を検し其地位を質して以て略記すること左の如し。盖し北海道の民皆鉱物を官に秘しめ独り其利を私せんと謀る者多きを以て偶之を知る者有と雖ども、之を我等に報ずるを重じて語らざること在り皆是なり。是れを以て先年、教師「アンチセル」氏経過せし地に遺漏品極て多き所以なり。
 
○硫黄山地位並硫黄の品位
一、古武井沢より河に傍(そっ)て山路に入ること約三里にして正さに其硫黄山の下に出づ。此間道路甚だ嶮ならず石橋以下数子皆馬にて往還せり。此硫黄山は別図に示す如く土石相混して成れる山にて山頂大樹繁茂し更に火山の観を為さず、又一つの旧火口も見ることなしと言う、然らば則ち此地は地質家の所謂水成の地にして火成の地にあらざるべし。而して硫黄は皆此山身に層を為して存すること石炭礦に均と言う。予、石橋子の齎し来れる硫黄を見るに其質堅きこと殆ど石の如く、其色棕(しゅ)色にして外面沙泥を混ずるにより更に硫黄の観を為さずして却て凡石かと疑うばかりなり。然りと雖ども之を破折すれば内部は皆一種の光沢ありて土石に類せず、火を点すれば直ちに燃ゆること純硫に異ならず、其臭い亦硫黄に少しくも異なることなし。土民此棕(しゅ)色の硫黄を鼠硫黄、又単に鼠とも唱えり。
一、鼠硫黄の層は現下山土崩れて其面を没せり、然れども此山麓に昔年開きし一坑口あり、此坑中に入ること数間に及ぶときは其面を見るべしと言う石橋子等は、坑内に入りしに絶に三間許にして溜水甚だ深くして深入りする能不を以て、遂に其面を見るに及ばずしめ、帰れり、然れども此坑口の辺に昔年堀棄し鼠硫黄累々堆きを以て、之を持して帰来れり。他の坑口は今皆崩れて痕跡なし、又山麓に昔年製硫の為に用いし鉄鍋数拾枚を遺せり。
一、抑も此硫黄山は距今茲壬申七年前函館の一薬商石川小十郎なる者(○〆と通称す)始めて開採し、前後三年従事して上好の硫黄(黄色の者)約子二千石余を堀出したるに、其後黄色品を見ること希にして鼠色品のみ多く加るに坑内處々破損せし等よりして、遂に三年以来は全く廃業せりと言う。
一、石川小十郎曰く、此山其開きし始めは鼠硫黄の間に黄色にして透明なること琥珀の如き硫黄二、三間の大塊を為しめ存せしこと、尠(すく)なからざりしにより直ちに採て之を売買に出し多少の利分を得たり、只其鼠硫黄は之を溶解して精製せしに能く溶解すと雖ども、依然鼠色を保って黄色に変ぜざるにより売買品に適せざるを以て、或いは之を精品に交えて売出し大半は措(おい)て問はざりし。是れ以て現下坑口及山下に此鼠色品猶二千石余棄て顧みざる所なりと言う。又曰く坑内に入ること稱深ければ全山殆ど此鼠硫黄のみにて、間或いは大小の土石を挟さむと雖ども硫黄中に偶然土石の混ぜしにて土石間に硫黄の存するならず。故に此鼠硫黄現在の有高測知すべからざるの大さなりと言う。
一、予、此鼠硫黄大小塊一〇貫目以上を取寄せ、之を分析して上中下三等分てり共に極めて富める硫鉱にして大いに外見と異なれり左の如し。
 一、比重 二・〇九
 一、上  硫黄分一〇〇分の九六  沙一〇〇分の三・四一
 一、中  同  一〇〇分の八七  同一〇〇分の一三
 一、下  同  一〇〇分の八五  同一〇〇分の一五
 以上、三種平均鉱一〇〇貫目中に硫黄八九貫五三〇目を含めるを以て真に上好の硫黄と称統べし。
一、予、未だ自ら此硫黄山に至らざるを以て、其山質及其相共に土石質の種類を研究する能わずと雖ども矢川屋の演説する所の景況と其取寄せたる硫黄を諦観して、之を考えに此山恐らくは始めより火山に非ずして太古の時曽て莫大の硫化金属(譬(たとえ)ば硫化鉄)地下の熱力によって硫分次第に分析せられ、而して其一旦気状又は流体になりし硫黄取次に雨水に冷やされ再び凝体になりたるなるべき歟(よ)。何となれば、予其硫塊を見るに厚薄の層相重畳して体を為せること猶夫の「レイ」石の成立に類するもの多ければなり。而して其棕(しゅ)色を為せるは当時之を打冷やしたる雨水中に混ぜし土類及び沙石の所為なるべし、盖し当初流体を為せる硫黄の表面雨水の為めに冷凝して固質を為し、其固有の重みを以て沈降し、而して他の流体の部分其位に代わり又結冷せられて沈む如く是転互升沈すること、数千万の星霜を経て遂に今世界に至り、土類堆積して樹木其上に繁生せしなるべし。又其鼠硫黄の中に純黄透明の硫黄を把くことあるは、当時既に結冷せし硫黄の層中凹凸不等処に流体を為せる硫黄頓(にわか)に注流して固結せしなるべし。其凹凸不等処及他の硫黄の頓(にわか)に侵入りし等の原因は地震の所為たるべし。
一、右の考に基きて推察するときは此地の硫黄は其層極て厚く又其容(かさ)も極て大にして、其層現下出没する処あるとも其方位を尋子(ね)て地下に掘入るときは必ず再び出逢うことあるべきの理足り。然らば則ち此地の硫黄は恵山其他の噴火山に産する硫分等と其有高素より同日にして語るべからざる程の莫大なるべし。予、明年を待て自ら此地を蹈て研究せんと欲す。
一、此地の鼠硫黄礦は其硫分に富めること前表の如きを以て、硫酸製造所に於いて直ちに用うべき最好品たり。而して又其質極て堅硬なるを以て山元より輸出するにも、又他方に転運するにも共に叺等に包むを要せず、直ちに之を舩車に積得べし加之尚三個の便利あり、即ち大塊を為すを以て輸器の積を省く一也。運輸の際に於いて容器に粉末を為さず或いは粉末を為す者ありと雖ども、用いる時に妨げなき二也。運輸の際雨或いは水に浸蝕せられて其性質を変ずることなき三也。
一、土民鼠硫黄を黄色に精製する能はざるは華僑其製法恵山の條に記せるものと一般なれば也。もし、之を第二図の如き陶器を以て蒸留するときは美良の黄色品を得べきは必然たり。
一、予、此鼠硫黄中に「セレニュム」を含めることもあらんかと疑いて之を試験せしに更に其痕跡を見ず。
 
○運輸
一、古武井沢より硫黄山迄は甚だ嶮路なきを以て馬を以て通行し得べし。石川某開採せし時は山元に於いて精製し馬背にて之を東風に出せり、東風は直ちに此古武井沢の近辺なり。
 
○昔年石川某此地の硫黄開採の節精製品一〇〇石函館迄出せる惣入費
一、金一〇〇円  坑夫給金御飯米其外製法諸道具類より薪に至る迄一切入費
一、金一三円   叺
一、金一一円   山元より東風迄の駄賃
一、金一六円   山元より函館迄の舩賃
 共計金一四〇円
一、石川某開採のときは税銀毎年二〇〇円を納めたり、但し当時の税法一か年何百千石掘出すとも、金二〇〇円たりしと言う。
 
総論
一、古武井沢は極めて薪に富めるを以て硫黄を精製すとも恵山のごとき費なし。然れども、予が意匠に據れば此地の硫黄は極て富礦なるを以て別に之を精製するを要せずして直ちに之を内地或いは外国に致すべし。予此鼠硫黄一、二塊を米国桑港(サンフランシスコ)龍動安徳堤等各処に贈りたるに望むもの甚だ多し。
一、此地の硫黄を開採するには山に横孔を穿ち坑内に堅固の留木を為して掘入るべきこと他の礦山に異ならず。
一、坑内に於て坑夫の用いる燈は「デーフュス」燈の如きものを選び用ゆべし、然らざれば硫黄に火を引くの患あり。
一、硫黄山の前面に坑夫の居住すべき平夷(い)の地あり、又水に乏しからず。
一、石川某の演説に拠れば、今もし此鼠硫黄のみを採り且つ精製するを要せず又叺を用いざるときは函館まで運輸一〇〇石に付、金一〇〇円にして余りあるべしと言う。予が考えるには上等鼠硫黄は一〇〇石の価東京又は大阪に於て、二五〇、二六〇円に及ぶべく、又中品、下品は二〇〇円前後たるべきを以て此山の硫黄をして果しめ、石川某の演説する所の如くならしめば上好の石炭山を発見せしに愈(まさ)れるの利あるべし。