幕府は松前藩の復領に際し、直轄時の施策北辺警備を怠ることなく、また、各種制度を維持・公的施設設備の充実に努めるよう厳命した。しかし、小藩である松前藩は、財政的にも人材的にも、これを実行することは不可能であったし意欲も乏しかった。したがって、復領後も、依然として姑息(一時凌ぎ的)な施政をおこない、せっかく幕府によって蝦夷地開発の基盤づくりと、アイヌの撫育政策が促進されたにもかかわらず、それを積極的に継承できなかった。その結果、場所請負人の勢力を増大させ、松前藩は上下(うえした)をあげてかれらの財力に寄生し、その頤使(いし)に甘んずることになった。
交通関係に限っていえば、直轄期に開削改修された道路・旅宿施設は荒廃し、駅逓制度も徹底を欠き、移出海産物の減産、幕府の直捌制度の引上げによる諸藩関係の旅行者の減少など、前幕領時代に比較し大幅な退化を余儀なくされた。
これに加えて、この時代、噴火・地震・洪水・天候不順による飢饉等、災害が頻発、さらには外国船の出没も度を重ね、松前藩は政治・産業・交通・軍事あらゆる面で十分な施策を取ることができなくなっていた。