戸井・尻岸内・椴法華寄付金を条件に道路開削要請(大正12年3月)

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 大正12年3月には、戸井・尻岸内椴法華3村は厳しい財政から積立てた1万5千円の寄付金を条件に、戸井・椴法華間の道路開削を道庁へ強く請願した。
 北海道庁も国防上、又地域の熱意をくみ、大正12年4月7日、準地方費道〈北海道拓殖費道路橋梁費〉・地元有志寄付金を含め、総工費352,719円63銭、全長函館市若松町国道分岐点から椴法華村元標まで、52.5キロの道路開削を決定した。
 しかし、湯川・椴法華間道路の開削改修は大正12年12月、戸井村字原木までは開通の見通しが何とかついたものの、尻岸内椴法華区間については依然として思うような進捗を見せず、戸井・尻岸内椴法華の村長はこの月、出札し開催中の土木派出所長会議に工事継続の速進を要請している。
 翌大正13年11月、武石尻岸内村長は北海道長官あてに、詳細な請願書と資料を添え強く陳情している。以下、その新聞報道を記す。
 
 『古武井道請願』    大正十三年十一月二十七日付函館毎日新聞より
 湯川村、戸井村原木両村間、準地方費道路は本年を以て完成したが、戸井・尻岸内古武井間に於ける道路開削に就ては予て採択(道庁で着工決定)となりいるも、其起工は未だ其運びに至らざる由より、今度、武石尻岸内村長より左記速成請願書と其沿線情勢を添え道長官に陳情した。
 自治の進展を図るには殖産の繁栄を期するにあり。之を増進せんとするには道路を開削し交通の捷快を得るに、若くはなし然るに、本村は戸井村界に二大山脈の突出る小丘所々に蜂起し三面山岳を以て圍檍せられ、津軽海峡に面した漁村と雖も水田に好適地なる三百数十町歩の沃野なり。著名なる硫黄鉱山あり鉄鉱あり。水産としては潮流の関係上、魚介藻類豊富なること本道沿岸中首位を占むは勿論、世界中三大漁場の一と称せられらるるも坂路曲折険悪、交通運輸其便を得ざるを以て自由にこの饒多(じょうた)なる天與の産を利用すること能はざるは、独り村の損害のみ之延(ひ)いては国家経済に及ぼす影響甚大にして最も遺憾に堪えざる所なり。茲に於て明治二十六年以来該路線の工事困難にして経費の多大に要するを以て、到底民力に堪えざるにより、実情を具し屡々(しばしば)請願を重ねたるも猶別紙の通り、村情の一班を概記し村会の議決を経て強いて速成を及び請願候也。
 
 戸井・尻岸内間の道路開削に意欲的に取組んだ尻岸内村長武石胤介は、大正14年落部村長に転任する際、その意思を次のように記し次期村長菅原直次郎に引継いでいる。
 
 〈引継書〉湯川椴法華間道路開削につきしばしば陳情請願をなし、三ケ村(戸井・尻岸内椴法華)が金壱万五千円を寄付し本村負担額六千三百円の内三千五百円を支出し一部の路線に着手したるも、工事中の難工事たる日浦・尻岸内の両峠に差掛り当局も憂慮しつつあり、これが完成を期せんには、再三再四出札陳情請願の必要ありと認む。もっとも、この路線の完成の暁には、本村利便莫大なるのみならず、国家的利益多大なると思考し宜しく考査の上速に実行せらしめられん事を希望する。
 なお、又本路線より分岐する根田内・磯谷方面(恵山・御崎)の道路も、地方費補助道路として陳情請願あらんことを望む。
 
 これを引継いだ尻岸内村長菅原直次郎は、戸井・椴法華両村長と協議、戸井村字原木・尻岸内村字日浦間の最大の難工事に対する工事費4千円(戸井1千円・尻岸内2千500円・椴法華500円)の寄付を渡島支庁に申請、大正15年10月4日付で許可が下り、これを決定している。そして、11月29日には菊地戸井村長と尻岸内村の有志らも加え函館に赴き、土木事務所長と渡島支庁長に会見・道路開削速成の応援を要望し、その日の夜行で出札、北海道長官に陳情している。
 しかし関係者のこのような努力にもかかわらず、函館・椴法華間の下海岸道路全線開通したのが、函館日日新聞・昭和10年刊行の函館市史によれば、大正12年4月7日、準地方費道〈北海道拓殖費道路橋梁費〉に認定され工事着手以来、実に10年も経過し元号がかわった昭和8年(1933)2月3日のことであった。
 以下にその資料を記す。
 

磯谷(現御崎)道路の難工事


根田内橋付近の石垣景 「村道完成記念絵ハガキ」より・昭和12年ころ


『準地方費道・函館椴法華線の改良』函館市史(函館日日新聞社・昭和10年刊行)より


<函館椴法華線・函館市を起点とする道路概況>