村道へのバスの乗り入れ

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 昭和12年10月、下海岸自動車は「村道」日ノ浜御崎線の恵山までバスを乗り入れた。恵山は、既に大沼公園とともに道南の観光地として新聞にも紹介され、一般に知られるようになっており、バス路線開設の要請も多かった。これを受けて、下海岸自動車は海岸道路全面開通を機に恵山山麓まで運行を決定した。このバス運行により原田温泉(現恵山温泉)や恵山登山に訪れる人々が飛躍的に増え、尻岸内椴法華両村は役場を中心に恵山保勝協会(観光協会)を組織し、村をあげて受け入れ態勢をとった。
 以下の新聞報道はその一端である。

昭和12年下海岸自動車村道乗り入れ
原田温泉(現恵山温泉)への道

 
 『夏の恵山にいきましょう=遊覧団員を募集=』
             昭和十二年六月二十三日付 函館新聞より
 暑い!暑い!漸く夏が来た。涼を求めて郊外へ出掛ける人も相当に多い。
 尻岸内の恵山保勝協会は、この機会に観光恵山を紹介しようというので市内新聞社、ツーリスト、景勝地協会渡島支部の後援で来る二十七日、恵山遊覧団体を招くことになった。この日同村青年団では団員で接待することになり、嶺村長をはじめ尻岸内役場員その他の関係方面で歓迎準備をしている。募集要領は次の如くである。
 一、(昭和十二年)六月二十七日(日曜日)
 二、定員  五〇名
 三、コース 集合、函館駅前及び下海岸乗合自動車鮫川待合所、
       バスにて午前七時発・椴法華同十時着
       健脚・普通・婦人子供様の各班にコースを分けて登山(所要時間1時間)
       原田温泉午後三時バス発・函館駅前午後六時解散
 四、主なる遊覧箇所
       高山植物・山頂権現堂・賽の河原・高田屋嘉兵衛海上安全祈願の碑・湯、中村温泉・原田温泉入浴その他、同地の男女青年団がコースの案内や説明を致します。昼食は頂上で、御飯豚汁・其他同地の名産沢山用意して居ります。
 五、会費  大人二円三〇銭・子供一円三〇銭
       バス・茶菓子・温泉代
 六、申込所、末広町 丸井ツーリストビュロー
 
 村道、日ノ浜・恵山線に定期バスが運行した昭和12年に、函館毎日新聞・函館新聞に掲載された恵山・登山観光についての記事・見出しを拾ってみる。
 
函館毎日新聞 5月4日
  『春は渡島の恵山へ 宣伝紹介に主力!!渡島景勝協会の活躍ぶり』
函館毎日新聞 5月30日
  『景勝地 尻岸内村を絵葉書で宣伝』
函館新聞 6月1日
  『初夏は楽しハイキング・6月6日奇勝恵山にてつつじを観る』
函館新聞 7月24日
  『余興には手踊り 美給連も乗り出す 恵山観音像開眼の日』
函館新聞 7月28・29日
  『夏の恵山へ(上・下) 堀川生』
函館新聞 8月24日
  『弁護士団 恵山探勝』
函館新聞 9月6日
  『初秋・爽涼の霊峰へ 名勝恵山に遠出』 第9回 本社主催婦人見学団
函館新聞 10月4日
  『恵山の秋を探る 本社の婦人見学団 秋晴れの今日挙行』
函館新聞 10月7日
  『婦人見学団の恵山探勝記 丸山喜代松』
函館新聞 10月29日
  『恵山の山納 31日に催す』
函館新聞 11月5~18日
  『恵山附近(恵山・温泉・三日湯・村の女・木流し・社交場)・6回連載骨五郎
函館新聞 11月22日
  『恵山に初雪』
 
 山麓までバスが乗り入れられ、毎月のように登山会の案内や観光関連記事が新聞紙上を賑わす。下海岸道路の開通により、陸の孤島とまでいわれた尻岸内椴法華両村が渡島の観光スポットとして生まれ変わったといっても過言ではなかった。尚、この詳細については観光資料に記すこととする。