知人に暑中見舞を出す。地方に嫁いだ娘にふるさと小包を送る。百貨店のダイレクトメールが届く。NHKの受信料を払い込む。定期預金をする。簡易保険の保険料を徴収に来る。私たちの日常生活の中での郵便局・郵便制度利用のひとコマである。
郵便という日本語は、その制度をつくった前島密(ひそか)(註)の命名による。
郵便物は発信者から受信者まで人・ウマ・車などによって運ばれるが、送達を速やか、かつ確実にするために道路に沿って要所々々に中継所が設けられた。それが「駅」であり、「郵」も元来は駅と同じく、街道に沿った「宿場」を指す言葉であった。郵便を表す英語「ポスト」も、古くは駅の意味に用いられていた言葉である。
因みに、中国語の『駅伝』という言葉の「駅」は馬を利用する場合、「伝(傳)]は車を利用する場合を指し両方併せて「駅伝」と呼ばれた。この駅伝制度は春秋・戦国時代(紀元前8~紀元前3世紀)既に地方ごとに設けられていたという。
(註)前島(まえじま)密(ひそか)越後高田藩士の子、安政元年(1854)20歳の時、箱館に来て諸術調所に入り(五稜郭・古武井溶鉱炉を構築した)武田斐三郎の指導を受けている。