明治二十九年

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・一月一日 日清戦争後の軍備拡張政策の一環として渡島・後志・胆振・石狩の四国に徴兵令が施行される。(函館・江差・福山は明治二十二年一月より徴兵令施行)
 なお明治二十九年の徴兵令の時官報によれば、『徴兵令施行地に移住し、開墾其の他一定の生業に從事する者は転籍移住の後、五ヵ年に満つる年まで徴集を猶予す』と定められていた。官報でなぜこのように報ぜられたのであろうか、その理由は北海道に移住し開墾又は漁業に従事すると同時、一家の働き手を徴兵されてしまっては、文字どおり死活間題となる恐れがあり、また北海道の開発に大きな影響を及ぼすものと考えられたからである。
・五月十五日 第七師団を札幌に創設し屯田兵司令部を廃止する。
・五月二十五日 椴法華小学校の修学年限が延長され従来の三年から四年となる。
・七月 道南一帯集中豪雨に襲われ、村内に山津波発生する。
・十月十六日 椴法華郵便局、為替・貯金の業務を開始する。
 日清戦争の軍事支出の増加により経済が膨張していた時、ちょうど戦争は勝利に終り、清国より日本国へ総額三億六千四百万円の多額の賠償金が入り、こうした中で国内経済は活発化し紙幣は国内に広く行き渡りつつあった。このような情勢下都市では市中銀行が貯蓄を奨励し、郵便局もまた貯金や為替の業務を開始したのである。
 しかしこのような余裕のある人間ばかりでなく、こうした人々の後には不漁・不作そして物価上昇に悩んでいる多数の人々がいた。
・この年、椴法華村では不漁そして山津波に悩まされ、大部分の村民の生活は苦しいものであった。
・この年、日蓮宗椴法華説教所布教をはじめる。
・この年秋、恵山沖烏賊大漁。
・この年、ロシア国より樺太西海岸漁場の出漁が許可され、はじめてこの地域に出漁する。
・この年、『港』・『夏は来ぬ』などの唱歌が愛唱される。
・この年、日清戦争勝利のため意気揚々の気風世間にあふれるが、生活の実情は物価高騰で日本中の庶民の生活は苦しくなりつつあった。