明治三十年

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・三月二十七日 北海道国有地処分法公布。
 (四月一日施行)
 この法令は小資本の移住者が楽に北海道に移り、開拓に従事することが出来るようにという名目のもとに制定されたが、実際には資本家や政治家が大土地を所有するのに都合よくつくられていた。(資本力の小規模な庶民は実質的には貸し下げを受けることは出来ない)例えば、一人当りの農耕地であれば百五十万坪を貸し下げ、十年間開墾すれば無償で払い下げる。(実際には開墾しなくてもよい抜け道があった)という内容のもので、以後この法令によって大地主となる者が出現する。これに反してこの頃小規模経営の漁民や農民が官地の貸し下げを受けようとすれば、たとえ狭くともむずかしい手続と日時が必要であった。
・五月二十九日 北海道に区制及び一・二級町村制が公布されるが、この時には施行とならず区制は明治三十二年、一級町村制は三十三年の改正により、更に二級町村制は三十五年の全文改正後施行された。
 この制度の目的とするところは、中央集権化の強化・執行機関の権限を強力にし、かつ村会などの議決機関の権限の抑制を図ることであり、更に小村落を合併することにより事務の簡便化を図り、国家にとって必要とする事務を確実に遂行出来る能力を持たせることであった。
・九月十九日 椴法華八幡神社、社殿改築。
・九月 全道各地大洪水となる。
・十一月五日 亀田・上磯・茅部・山越郡役所を廃して亀田支庁を七飯に置く。亀田支庁長に龍岡信熊任命される。(新北海道史年表では、十一月二日としている)
・十一月十一日 椴法華郵便局電信開通、集配を始める。
・十一月十八日 北海道漁業取締規則が公布される。
 この法令は明治二十一年三月に制定された取締規則及びそれ以後に定められた諸規則を、整理改廃して新たに規則を定めたものである。この内容については『新北海道史第四巻』に次のように記されている。
 
   ここでは定置漁業について隣接漁場との距離を定め、海藻類・軟体類(烏賊を除く)・甲殼類・芒刺(ぼうし)類は原則として一か年以上その区域内に居住する者に限り許可することとし、毒物・爆発物などによる漁獲を禁止し、また十九年十月に禁止されていた潜水器械による鮑・海鼠などの捕獲は場所を指定して新たに許可することとした。
 
・十一月二十三日 函館に重砲大隊が置かれる。
・この年、シネマトグラフ(フランス)ヴァイタスコープ(アメリカ)が前後して輸入され活動写真として公開される。七月函館でシネマトグラフが電気作用活動大写真と称して公開される。
・この年、不景気であるが凶作のため米価騰貴し、九月長野・福島・山形・新潟・富山等で米騒動起る。函館では米一俵極上九円、並米八円五・六十銭となる。
・この年、不景気のため渡島地方へ一万二千五百二十七名の移民が流入する。
・この年、椴法華村鰮大漁。
・この年、尾崎紅葉の『金色夜叉(こんじきやしゃ)』が発表される。(一月一日から読売新聞に連載開始)
 貫一とお宮の愛は悲恋に終わって、金色の夜叉(金の鬼)となった貫一の心境を中心に物語はすすめられるが、これは当時の金権万能の風潮を男女の恋を素材として批判しようとしたものである。この小説は当時の人々の共感するところとなり、人から人へと云い伝わり多数の愛読者を得たと云われている。