・八月 椴法華村、長切昆布製造本年の採取高五百石の見込み、昨年に比較すると減収で発育が十分でない。(函館日日新聞八月九日号)
・八月 椴法華回漕店設立。
・九月十三日 明治天皇大葬、青山葬場殿で挙行。
・九月二十三日 椴法華村暴風雨に襲われる、函館日日新聞九月二十六日号はこの時の状況を次のように記している。
亀田郡椴法華村
▲船舶の損害、胴海(どうかい)・持符(もちふ)・仲船三艘價格八十圓 ▲海水浸水三戸仝納屋一棟 ▲橋梁流失字矢尻濱相泊間の架橋一ヶ所(二百圓)船澗の小破五十ヶ所(五百圓)▲大謀網の破断(だん)一(五百圓)破損家屋一棟(百圓)海産干場、石垣十間(二百圓)(廿四日椴法華村戸長報告)
・この年十一月 椴法華村烏賊大漁。
・この年十二月 椴法華村鰮大漁。
烏賊の当り年で男も女も烏賊漁にはげむ。
このため米の値知らずという程上景気となる、更にこの年鰮漁も豊漁に恵まれ、十一月一日から十二日までの間に十日と十一日の大漁があり、この二日間だけでも七百石の漁獲高を上げる。
・この年、勘察加(カムサッカ)や尼古来(ニコライ)方面大不漁。
・大正元年の椴法華村の様子
大正元年十二月二十八日付函館新聞夕刊より。
○ 椴法華通信(廿五日)
▲大漁と商人入込、本年は烏賊未曾有(みぞう)の大漁加ふるに秋鰮又大漁なりし為め漁夫の切揚けも他村より遅く昨今弗々(ぼつぼつ)歸國の途に就きつゝあるが大漁の結果各地より入込みたる商人は旅店に充満し蕎夢屋に五六人の酌婦入込み漁村の實を現出し居れり。
▲電話延長の運動、函館古武井間長距離電話は過般佐藤函館局長は同方面に出張し愈々来年八月頃までに架設通信開始さるべき運びになりたるが當村有志者は該電話を當村まで延長申請なさんとて目下頻(しき)りに寄附募集に着手し居れり。
▲戸椴間道路速成請願、當村有力者等は此程其筋へ戸井椴法華間道路開鑿速成請願書を提出したり。
▲水産物検査状況調査、亀田水産組合の城副組長、東検査員一行は水産物の検査実況調査の為め二十四日古武井より来村したるが當村川口検査員が熱心に勵行(れいこう)されたる事なれば定めし好成績なるべし。
・この年、「乃木大将の歌」・「広瀬中佐」・「村の鍛冶屋」などの歌が流行する。