・一月 アメリカ代理領事キングの購入した五人乗り、乗用車が函館に入る。(函館最初の自動車)二月函館で自動車試乗会が開かれる。この時の自動車はフォード十二人乗、最高時速四十八キロメートル、価格八千五百円、(当時物価、活動写真七銭・米一石約二十円)
・二月二十日 椴法華村石川留吉外五名、恵山沖へサガ釣に出漁中北西の強風により遭難二十一日午前一時、青森県下北郡大畑村字木野部へ漂着救助を求める。
・三月二十六日 函館より椴法華・古武井・尻岸内へ電話開通する。一通話いずれも二十銭、用途は主として水産物の売買及び役場連絡・燈台連絡用として使用される。なお椴法華村民が伝えるところによれば、現代のように聞き取り易い音声ではなく、音が高くなったり低くなったり、あるいはザーツ・ザーツという音が入ったり、なれぬと非常に聞き取りにくい電話であったと云われている。
・三月 函館で発声活動写真「巴里女優の舞踏」(一本二、三分位)が初めて公開される。
・三月 日魯漁業函館に設立される。以後村内より日魯漁業に雇われカムチャツカ方面に出稼に行く者が出る。
・第一次世界大戦の勃発。
かねてから、イギリス・フランス・ロシアの三国協商と、ドイツ・オーストリア・イタリアの三国同盟は対立の状態にあったが、ついに大正三年六月、オーストリア皇太子暗殺事件をきっかけとして第一次世界対戦が勃発した。
すなわち六月二十八日、オーストリア皇太子夫妻はボスニアの首都サラエボでセルビアの青年に暗殺され、七月二十八日、オーストリアはセルビアに宣戦を布告し、ここに第一次世界大戦が開始されることになったのである。
・八月二十三日 日本は日英同盟の関係を強調し、ドイツに宣戦すばやく南洋諸島を占領、その後十一月青島を占領する。この時、椴法華村は不景気のさなかではあったが、十一月八日九日と青島陥落記念の祝賀行事が行われたと云われている。
・十二月 函館駅竣工、函館・青森間貨車航送開始。
・この年、前年の大凶作の影響を受け、本道、本州各地より大正二年から多くの入稼者が来村する、しかしこの年の椴法華村は、鰮全く獲れず、烏賊漁不振で且つ「するめ」の値段が安く、頼みの鱈はわずかに四百八十貫の漁獲収入四百八十円という実情であり、村民の窮乏はもとより入稼者は帰りの旅費さえ手にすることが出来ないような有様であった。
・この年、第一次世界大戦の影響により豌豆・菜豆の値段が急上昇する。
・この年より、「カチューシャ」や「ゴンドラ」の唄などが大流行する。