昭和十一年

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 この年は前年から続く不景気風の中に明けしかも雪もまだとけぬ二月二十六日、東京において陸軍将兵が突然反乱を起し、政府の首脳人を殺害、警視庁その他を襲ったとのラジオ報道に接した。この時の報道内容は簡単なもので未確認なものが多かったため、村人は不安を持ちはじめ公然とは言えないが、親しい間では、どうなるものか、外国の陰謀ではないか、東京の親子や知人はどうなるのか、などと心配されたと云われる。このような風景は全国でも見られたものであろう。政府の命令を受けた北海道長官は、二月二十九日各町村長に至急親展を発し、反乱は既に鎮定されているからこのことをすばやく住民に伝え、民心の安定をはかるようにと命じている。次にこの時渡島支庁から発せられた公文書を参考として記すことにする。
 
  昭和十一年二月二十九日 渡島支廳長
   各町村長殿
   今回東京ニ於ケル不祥事件ニ関スル件
  二月二十九日北海道廳総務部長ヨリ電信ヲ以テ左記ノ通、通牒有之候ニ付及移牒候。
      記
  今回ノ事件ニ際シ岡田首相ハ官邸ニ於テ遭難セラレタルモノト傳ヘラレ誠ニ痛惜ニ堪ヌ次第デアツタガ計ラズモ今日迄首相ト信ゼラレテ居タ遭難者ハ義弟ノ松尾大佐デアツテ首相ハ安全ニ生存セラレテ居タ事ガ判明シタ、作朝首相ハ先ヅ後藤臨時代理ヲ経テ閣下ニ辞表ヲ捧呈シ同夕刻天機ヲ奉伺スルト共ニ今回ノ事件ニ對シ宸襟ヲ悩マシ奉リ恐〓ニ堪エザル旨深ク御詫ビ申上タルトコロ優渥ナル御沙汰ヲ拝シ恐〓感激シテ御前ヲ退下シタノデアル、次デ後藤内務大臣ニ對シ内閣総理大臣臨時代理罷免ノ辞令ガ発セラレタ
  尚今回帝都ノ事件ハ鎮静ニ帰シタルヲ以テ道民ノ向フ所ヲ知ラシムル為本日二十九日ラジオヲ通ジ北海道廳長官ヨリ告諭ヲ発セラレタルニ付御了知相成度候、
 
  渡親第二二號
       昭和十一年二月二十九日
        渡島支廳長 小林薫
   各町村長殿
   長官告諭ノ周知徹底方ニ関スル件
去ル二十六日朝帝都ニ発生シタル事変ニ関シテハ各位ト共ニ心労スル所ニ有之候處幸ヒニ鎮定シタル趣其ノ筋ヨリ通報アリタルヲ以テ右ニ御了知有成度然レドモ現下ノ状勢ヨリシテ、留意ヲ要スルモノアルヲ以テ貴部内學校、在郷軍人分會、青年團等ニ對シテハ勿論一般町村住民ニ對シテ本日公布セラレタル北海道廳長官告諭第二號ノ周知徹底方ニ付キ至急相當措置相成度此ノ段及通牒候也。
 
 この後、村では夏の昆布漁が豊漁でやや一息つき、続いて鰯がやや好漁をみせ、あとは鱈漁が良ければ、本年はまずまず生活できるものと考えられたが、なかなかそうは行かず期待の鱈漁は不漁に終った。このため例年のように千島樺太方面に出稼に出る者が多かった。
   千島出稼者  約四十名
   樺太出稼者  約二百七十名