伝説によれば、日蓮上人の高弟に蓮華阿闍利日持という勇猛の僧があったが、ある日、日持は海外布教をしては、どうかという師の導びきを受けた。この導びきに発心した日持は、永仁三年(一二九五)正月、駿河国(静岡県)を出立、翌年箱館に渡来し数年間にわたって箱館や下海岸のあたりで布教を続けた。その後、日持は、より遠い異郷に日蓮の教えを広めるため、永仁七年(一二九九)六月一日、恵山の北浜より、蝦夷の酋長ムシャッタを案内者として唐土を目ざして出立していったと云われている。
このような出来事があったので、土地の人々は、恵山の北浜の地を、法華宗の僧が唐(異国)へ渡った所、すなわち、「唐渡法華」とよばれるようになり、後に「椴法華」と書き改められたものであると言われている(「鶏冠石之由来書)。
なお『北海道旧纂図絵巻一』は、徳治元年(一三〇六)「丙午年春正月元旦、亀田郡椵(ママ)法華より異国に渡る」と記されている。
この話は伝説であるが、あるいはこの頃既に仏教を信仰する人々が居住していたものであろうか。