亀田番所は寛文十年(一六七〇)に家数二百軒余もあった港町亀田の中心であったが、そののち、元禄十五・六年(一七〇二-三)に起きた亀田川の大洪水により、亀田港の使用が出来にくくなった。このような理由によって当時亀田村に在った海産物問屋、運送業者、宿屋、小商人などは、船の出入りする箱館のほうへ移動してしまい、これに伴ってこれらの監督、徴税に当っていた亀田番所もまた寛保元年(一七四一)には箱館へ移らざるをえなかった。しかし土地の人々は箱館へ移動してからもなお旧名を使用し、亀田番所あるいは「亀田箱館番所」と呼んでいた。