寛政十一年(一七九九)一月幕府は、ロシアの南下政策に備え守備強化の必要を認め、東蝦夷地・浦河以東・知床岬及び諸島を幕府の仮りの直轄地とし、蝦夷地取締御用掛を置き、道路開削、沿岸防備に力を注ぎ場所請負制度の廃止を行った。
蝦夷地経営で一応の成功を収めた幕府は、享和二年(一八〇二)二月には東蝦夷地を永久直轄にかえ、蝦夷地経営の拠点として蝦夷地奉行を設置し、東蝦夷地全域の監督に当らせた。その後文化四年(一八〇七)三月には西蝦夷地をも直轄地とし、松前藩を陸奥国梁川に転封している。(十月梁川の図籍を引き継ぐ)なお蝦夷地奉行は享和二年(一八〇二)五月に「箱館奉行」と改められ更に文化四年(一八〇七)には「松前奉行」と改められている。