椴法華の村役人

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 慶応三年(一八六七)十月十四日の太政奉還、同年十二月九日の王政復古と徳川政権から明治新政権へと世の中は大きく転換されたが、蝦夷地の実経営は未だ旧幕府時代の箱館奉行所が引き続きまかせられているような状況であり、我が椴法華においても村役人は、前時代に引き続き小頭・年寄・百姓代が置かれていた。(この制度は、明治六年の大小区画制実施の時まで続けられる)
 これらの村役人は、
  明治元年箱館奉行所      (新政府)
  明治元年五月一日から箱館裁判所(新政府)
  明治元年十月頃から亀田御役所 (榎本軍)
  明治二年五月十九日から箱館府 (新政府)
  明治二年七月八日から開拓使  (新政府)
  (開拓使の実質的行政は明治二年九月三十日開拓使出張所が函館に設置されてから)
 と記されているように、幕府政権-明治新政府政権-榎本軍政権-明治新政府政権とめまぐるしく為政者の変革があり、戦争による民心の動揺や物価上昇による生活困難などの情勢の中で、小頭・年寄・百姓代などの村役人は、村の先頭に立って村民の生活を守るべく努力していたようである。明治元年から明治六年三月頃までの村役人は、形式的には官の政治方針に従い、実質的には自治組織のかなめとしての強力な力を有していた。
 
椴法華の村役人(現在判明している分だけ)

年月\村役小頭年寄百姓代
明治元年覺藏弥三郎八右衛門
明治六年一二月佐々木 弥三郎佐々木 久七川口 勝次郎