椴法華の村役人

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 椴法華は正式には尾札部村の支郷であり、開拓使砂原出張所が開設された明治五年二月から砂原出張所の管轄下に置かれていた。しかし交通上椴法華砂原間の連絡はすこぶる不便をきわめたため、明治六年一月末ついに椴法華は、特別に戸井村出張所管轄下に入ることを認められている(このことは後段で詳細に記す)。
 この時代の椴法華村は未だ一村独立を認められておらず、村に置かれる副戸長は存在せず、村政を担当するものとして村用掛が置かれているだけであった。村用掛が置かれたのは明治六年九月であるが、この村用掛に任命された人達は、以前に小頭・年寄・百姓代などの役を勤めた人達であり、村政に関しては深い知識を有する人々であった。
 なお『明治八年評議留』(北海道蔵)に依れば、
 尻岸内村枝椴法華村用掛 佐々木弥三郎
  同          越崎 與作
の名が見られ、この頃はおそらく仮りにであろうと思われるが、椴法華尻岸内村の枝村の取扱いを受けていたことが知られる。
 次に明治六年以後の村役人について(判明している分について)記すことにする。
[表]
年月小頭年寄百姓代
明治六年三月佐々木 弥三郎佐々木 久七川口 勝次郎

[表]
年  月村 用 掛村 用 掛村 用 掛百姓惣代
明治六年九月佐々木 弥三郎佐々木 久七川口 勝次郎能戸 勘右衛門
仝七年佐々木 弥三郎 (不   明)佐々木 家平
仝八年佐々木 弥三郎越崎 與作佐々木 家平

 この他にも村用多忙な時には、増役、あるいは多忙に付役代、などという村役人が存在していた。