この時代の椴法華村は未だ一村独立を認められておらず、村に置かれる副戸長は存在せず、村政を担当するものとして村用掛が置かれているだけであった。村用掛が置かれたのは明治六年九月であるが、この村用掛に任命された人達は、以前に小頭・年寄・百姓代などの役を勤めた人達であり、村政に関しては深い知識を有する人々であった。
なお『明治八年評議留』(北海道蔵)に依れば、
尻岸内村枝椴法華村用掛 佐々木弥三郎
同 越崎 與作
の名が見られ、この頃はおそらく仮りにであろうと思われるが、椴法華が尻岸内村の枝村の取扱いを受けていたことが知られる。
次に明治六年以後の村役人について(判明している分について)記すことにする。
年月 | 小頭 | 年寄 | 百姓代 |
明治六年三月 | 佐々木 弥三郎 | 佐々木 久七 | 川口 勝次郎 |
年 月 | 村 用 掛 | 村 用 掛 | 村 用 掛 | 百姓惣代 |
明治六年九月 | 佐々木 弥三郎 | 佐々木 久七 | 川口 勝次郎 | 能戸 勘右衛門 |
仝七年 | 佐々木 弥三郎 | (不 明) | 佐々木 家平 | |
仝八年 | 佐々木 弥三郎 | 越崎 與作 | 佐々木 家平 |
この他にも村用多忙な時には、増役、あるいは多忙に付役代、などという村役人が存在していた。