・策定の背景
椴法華村は江戸時代より、漁業、鉱山の開発が進められ、明治九年には旧尾札部より一村独立、先人のたゆまぬ努力により第二次大戦前後の苦難期はあったが、一歩一歩発展の道を歩んできた。
特に、我国経済の高度成長期には、本村においても住民の生活、産業の基盤などが整備され村民生活は着実に向上する傾向が見られてきた。しかし昭和四十年代に入り、村の歩みにややかげりがみられるようになった。
すなわち本村の基幹産業である漁業が、イカ、マグロなどの回遊魚の激減と漁具の近代化などにより、漁業従事者をあまり必要としなくなり、出稼ぎによって家計を支える者が多く、収入もよい状態でなくなった。中でも中高の新卒者は、村に戻っても就職、就業先が無いため都市部へ流出し将来の村の労働力確保に大きな不安を残すようになった。このような情勢から、人口の減少が進み、過疎問題として村勢の発展に大きな影響を及ぼし始めてきた。
その後、追い討ちをかけるように、昭和四十八年オイルショックが襲い、国の経済成長も低迷期に入り、本村でも諸経費の高騰に水産業の不振、出稼先の減少により深刻な経済危機を実感として持つようになった。
こうした情勢から、椴法華村では長期的展望に立った村づくりの必要に迫られ、限られた資源と地域の特性を活した新しい椴法華村の建設を目標とし、昭和五十五年から「椴法華村総合計画策定」の準備がはじめられ、村民の意向調査を行いながら五十六年六月に椴法華村総合計画が策定された。
・スローガンと期間
~二十一世紀の椴法華村の展望に向けて~
豊かな自然と
人間性あふれる
住みよい魅力のある
明日の村づくりをめざす
この計画は、昭和五十四年度(項目により昭和五十五年度)を基準年次として、昭和五十六年から六十五年までの十ヵ年中間計画と、七十五年までの二十ヵ年計画という長期的、各分野にわかれ、北海道発展計画や渡島広域圏などとの連携を図りながら村づくりを進めようとされたものであり、基本構想、基本計画、実施計画、財政計画で構成され、その推進にあたっては、進行管理に留意しながら複雑に変転する不確定な今後の経済社会情勢に弾力的、先行的に対応しながらも計画の実施と補充を図らなければならないとされた。
次にこの計画の主要部分を抜粋して記する。
基本構想では、村づくりの基本的視点・原則をかかげた。
一 自然環境の保全
二 産業基盤の確立
三 伝統文化の保持・継承
四 コミュニテイ地域社会の確立
五 住民参加の行政推進
計画の策定にあたっては、将来の人口、行政水準、所得水準、産業規模というような地域社会の構成要素が単に量的なものだけでなく質的な問題を含めて、いかに椴法華の文化や風土に調和させていくかが最大の課題であった。