鰮漁業のはじまり

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 蝦夷地においては古くから蝦夷に依って他の魚類と同じように簡単な漁法で漁獲され食用にされていたが、その漁獲量はほんの少しばかりのものであった。その後、和人が蝦夷地に進出するようになり、他の鮭・鱈等の漁業に比較すれば開始時期は遅れたが、『北海道漁業史』によれば安永年間(一七七二~一七八一)頃から東蝦夷地勇払・白老場所で、南部の人によって鰮漁業が開始されたと云われている。その後、次第に鰮漁業は発展していき寛政年間(一七八九~一八〇一)には、箱館・内浦湾・日高地方にまで広まっていったが、その背景には、食用又は魚肥として干鰮、鰮粕の需要が急激に増大したという理由があったようである。
 寛政十年(一七九八)の『中村小市郎報告書』によれば、「近來鰯漁相始、右漁業ノ場所(亀田近在、東蝦夷地)ヘモ二三軒ツツ家作取立有之」と記され、寛政十二年の『東蝦夷地日記』吉田有利著にも「佐原(現在の砂原)鰯ヲ取リ油ヲ取ル釜數多」と記されていることからも発展の様子を知ることが出来る。