これより以後恵山硫黄鉱山は、再開・休止・経営者の変転の歴史を辿りながら存続していくが、以後の経過を年代順に概略を記すことにする。
・文政五年(一八二二)頃椴法華村中にて硫黄掘取松前氏へ石切金五両宛上納、『椴法華神社明細書』
・天保十二年(一八四一)頃、箱館の商人東屋某なる者硫黄採掘を始める。
・『北海道硫黄取調書』によれば、
一 恵山の硫黄ハ古来ヨリ人口ニ膾炙スル事ニテ其開採セシ始メハ距今大几三十年前箱館ノ商人東屋某ナル者ニテ之ニ續キテ二十七八年前大〆(ダイシメ)函館ノ商ナル者銀主トナリ三ケ年間掘採レリ當時人夫ノ多少及ヒ石數共ニ審ナラズ
と記されているが、この資料中の「距今大凡三十年」の「今」は明治五年であることより逆算して年号を求める。
以後この資料を使用した場合、明治以前の年代はこの方法によって求めたものである。
・天保十三年(一八四二)箱館商某始て東部恵山の硫黄を開採する。『開拓使事業報告三』
・天保十四年(一八四三)頃、函館の商人大〆(ダイシメ)という者が金主となって三か年間掘採する。
・弘化三年(一八四六)箱館商某恵山硫黄を掘採し、嘉永元年(一八四八)に至て廃す『開拓使事業報告三』
・安政元年(一八五四)頃、下駄屋又右衛門(三好又右衛門)の父硫黄採掘を再開する。
距今十七年前現今ノ掘主下駄屋又右衛門ナルモノゝ父官許ヲ受ケテ再ヒ開業シ始メ二ケ年間ハ二十人乃至三十二三人ノ人夫ヲ発シ掘採リシヲ以テ一ケ月間ニ精製品一百石餘ヲ出セシヿ少カラズ延ヒテ距今五年前迠ハ十人乃至十二三人許ニテ掘採レリ夫ヨリ後二年間全ク廃業セシ。『北海道硫黄取調書』
・安政二年(一八五五)恵山山麓の住民佐吉の請負で硫黄採掘。『近世渡島地方史』
・安政三年(一八五六)箱館の商某請て恵山の硫黄を掘採す。坑夫二十人乃至三十二人を役し月に獲る所精製品百石有餘、『開拓使事業報告三』(これは佐吉の後を箱館商某が譲受けたもの)
・慶応二年(一八六六)箱館藥種商東部小武井硫黄を開採す。『開拓使事業報告三』
・慶応三年(一八六七)恵山硫黄製造收支償はず掘採を止む。『開拓使事業報告三』