戦前の赤井川鉱山

695 ~ 696 / 1354ページ
 昭和初期より常盤鉱業所赤井川硫黄鉱山の経営を始める。
 昭和三年発行の『北海道鑛業誌』によれば当時の赤井川鉱山について次のように記している。
 
     赤井川鑛山
  位置 渡島國亀田郡椴法華村字赤井川
      同 茅部尾札部
  鑛區 採掘登録第五二號 面積三一五・〇〇〇坪
  鑛種 硫黄
  鑛産額 なし
  沿革 (省略)
  地理 椴法華港を距る馬車道三十二町海抜五百尺の地にあり
  地質及び鑛床 暗緑色石英粗面岩の上に沈積せる鉱層にして一部分安山岩質集塊岩によりて被覆せられ粘土質物質の混合の度により種々の外観を呈す。之を樺色鑛及黒色鑛と稱す。樺色鉱は厚さ八十尺、黒色鉱は厚さ五十尺に及び多大の鑛量を存す。
  品位及用途  品位左の如し
      樺色鑛 六〇乃至八〇%
      黒色鑛 四〇乃至五〇%
  採鑛法 主として露天掘にて採鉱す。
  排水法 自然排水。
  通氣法 自然通風。
  運搬法 製品は椴法華港迄馬送し、之より汽船にて函館に送る。
  選鉱及製錬法 簡単なる手選を行ひ、近く恵山に於て試験せる鹽化製錬法實施の準備中なり。
  公害問題 特記すべきことなし。
  員數 不明

昭和3年ころの赤井川鉱山