次に「文化七庚午年(一八一〇)従二松前一東地通ソウヤ迠行程」により和人地から蝦夷地ソウヤまでの人馬継立の様子について記すことにする。
(弘前市立図書館蔵)
文化七庚午年
従二松前一東地通ソウヤ迠行程
十二月 ○ 松前詰 勘定方
松前ゟ東地通り西蝦夷地
ソウヤ迠行程 松前出立
五 里( 吉岡村休
福嶋村泊
七 里( 山中一之渡休
知内村泊
四 里( 喜子内村休
弐拾五町 泉沢村泊
下之処ハ
茂辺地泊 未ノ年壬二月御役所候 ゟ御 成之上
松前城下ゟ御返之事
登リ之地ハ
泉沢村泊
人馬継立
七 大野村ゟ己しの木
己しの木ゟヲトシヘ
ヲトシヘゟノタヲイ
ノタヲイゟヤムクシナイ
但蝦夷地場所之ハ泊場所ゟ泊場所迠
継立申候
泉沢村泊
七 里( 有川村休
大野村泊
八 里( スクノツヘ休
人馬継立 己しの木泊
福嶋村ゟ知内村 五里四町( ヲトシヘ休
知内村ゟ喜子内村
ヤムクシナイ泊
喜子内村ゟ札刈村
札刈村ゟ泉沢村 九 里( シラリカ休
弐拾四町
泉沢村ゟ當別村 ヲシャマンヘ泊
當別村ゟ茂辺地村
六里半 ( ライハ休
茂辺地村ゟ富川村
富川村ゟ三谷村 レフンケ泊
三谷村ゟ有川村 五里五町( ヘンヘ休
有川村ゟ大野村
アフタ泊
通行之節ハ泊村ゟ泊村迠継立
又少人数之節ハ泉沢村當別村之拾弐町 六里半 ( ヲサルヘツ休
石村三石村二而も人馬継立申候
モロラン泊
五 里( チリヘツ休
ホロヘツ泊
七 里( アイロ休
弐拾町
シラオイ泊
九 里( コイトイ休
ユウフツ泊
六里半
内五里程( ヒヽ 休
川船路
チトセ泊
拾八里 イシヤリフト休
川船路 ( 当り年にハ泊ニ成ル
ヱヘツフト泊
拾 里 イシカリ泊
右同断
四 里( シリヤツカリ休
ヲショロコツ泊
六里余
舩 路(
ハマヽシケ泊
八里余 (
舩 路
マシケ泊
三 里( シユシユンナイ休
三拾弐町
ハヽモツヘ泊
五 里( トヽコ休
弐十三町
ヲニシカ泊
五 里( メモトマリ休
六 町
トマヽイ泊
八 里( ツクヘツ休
弐 町
フウンヘツ泊
八 里( ウヱンヘツ休
弐拾四町
テシホ泊
六 里( サルシ休
弐拾五町
ハツカシヤクナイ泊
六 里( ヲ子トマツフ休
拾壱町
ハツカイヘツ泊
八 里( ナイホウ休
弐拾五町
ソウヤ泊
〆百九拾壱里三拾町
貳拾七泊