戸井・椴法華間道路

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 前にも記したように以前より何度か改良工事が進められていた湯の川・戸井間は比較的簡単に改良工事が完成され、自動車の運行も支障なく行われるようになり住民生活は大へん便利になりつつあった。
 一方、戸井・椴法華間では道路は未だ整備されておらず、頼みの海路も冬期や台風の時期などは、何日もストップするような状況下に置かれていた。こうした中で大正十年ごろから戸井・尻岸内椴法華の三村の住民は、軍事上の理由や産業開発上の理由を根拠として、戸井・椴法華間の道路建設を強く望むようになり、大正十二年二月には戸井村・尻岸内村・椴法華村は三村合同で一万五千円の寄付を条件として、道路開削を請願するまでになった。これ以後も何度となく関係官庁へ足を運ぶようになっていき、ついに大正十二年四月七日準地方費道函館椴法華線が戸井・古武井間第一区より着工された。費用は北海道拓殖費道路橋梁費、地元町村及び有志寄付により賄われ、総工費三十五万二千七百十九円六十三銭で、全長は函館市若松町国道分岐点から椴法華村元標まで延長五十二・五一八キロメートル、竣工したのは昭和七年三月二十九日であった。
 このように記すと工事が順調に進められたように考えられるが、実情は関係諸機関に対して何度も何度も足が運ばれ、且つ原木・日浦海岸及び尻岸内椴法華に存在する峠道などは大へんな難工事が予想され、果たして開削が可能であるか否や不安な一面が住民の中に存在していたようである。
 『尻岸内町史』(大正十四年十月二十五日付尻岸内村有文書)はこの間の情勢を次のように記している。
 
     尻岸内町史
  一、湯川・椴法華村間道路開鑿ニ付屢々陳情請願ヲナシ三ケ村(戸井・尻岸内椴法華)ニ金壱万五千円ヲ寄附シ、本村負担額六千三百円ノ内三千五百円ヲ支出シ、一部ノ路線ニ着シタルモ工事中ノ難工事タル日浦・尻岸内ノ両峠ニ差掛リ当局モ憂慮シツツアリ、之カ完成ヲ期セシニハ再三再四出札陳情請願ノ要アリト認ム  尤モ此ノ路線ノ完成ノ暁ハ本村利便莫大ナル、而己ナラス国家的利益多大ナリト思考ス、宜シク考査ノ上速ニ実行セシメラレンコトヲ希望ス。猶又本路線ヨリ分岐スル根田内・磯谷方面ノ道路モ地方費補助道路トシテ整備アランコトヲ望ム。