松浦武四郎、蝦夷日誌の弘化四年(一八四七)五月の記事に「水無濱、少しの砂浜、水無より此名あるかと思う、昆布取小屋有、人家も二、三軒、近来漁事の便りなるが故にここに住すとかや」と記されているが、この頃の人々は、すでに水無海岸の温泉を利用していたものと推定される。
また村の古老の語るところによれば、明治の初め頃より村民によく利用されていたと言い伝えられている。
その後、大正七年の椴法華郷土誌は、水無温泉について次のように記している。
○水無温泉
恵山麓字水無ノ海岸ニ湧出ス此温泉ハ極メテ僻陬(ヘキスウ)ノ地ニアリ潮来レバ水ニ浸ルヲ以テ湯泉場トシテノ設備ナシ。