椴法華村三次郎手船(所有)栄徳丸、元治二年(一八六五)七月十六日、椴法華村にて破船し溺死人も出る。
『元治二年乙丑年正月諸書付』(函館図書館蔵)は、この事故の見分取調について次のように記している。
元治二年乙丑年正月諸書付
書面椵(ママ)法華三次郎手船三右衛門栄徳丸於椵法華及破船溺死人も有之趣届出候間、見分取調至沖ノ口掛ノ内定役同心両人差使べき処當節御人別ニ付同心ノ内貳人差使べくや名前取調此段相伺ひ申候由
丑七月 同心組頭猿田喜兵衛
同心 前田真三郎
乍恐以書付奉願上候
栄徳丸 椵法華
一 貳人乗 三次郎手船
三右衛門
右之船於椵法花當月十六日東風時化ニテ皆無及破船溺死人も有之候処飛脚を以申來候、何度(率)御役人様に御出役被下置度乍恐此段以書付奉願上候以上
丑七月十九日 問屋頭取宿兼
佐藤半兵衛
沖之口御番所様