箱館奉行羽太正養はこの時の様子を、『休明光記』巻之八・文化四年五月の個所で次のように記している。
箱館町人和賀屋宇兵衛と云うものの手船魚積取として箱館より十二・三里隔、矢尻浜と云う所に沖掛りしつる内、今月六日に沖合三・四里程へだてて帆二ツ掛りしやと見へたる船一艘見懸たれども、雲霧ふかくしてさだかならず。其内行衛も見失ひたる由もし異国船にもあるべきや、又は常本の船二艘つらなり行たるを目にあやまたりやはしらざる由、彼手船風順おしく暫く滞船し、昨夜帰帆して申出たる旨、十五日の朝、宇兵衛より申により、取留めざる事には、あれど、此事も江府へ申し上げぬ。