高田屋とゴローニン

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 こんな事件が続いた数年後の文化八年(一八一一)ロシア海軍ゴローニン大佐は、ディアナ号千島列島の測量中薪水欠乏となり、クナシリ島に入港したが、この地を守備していた南部藩兵は、直ちにゴローニン以下六名を捕えて箱館へ護送した。(後に箱館から松前に移す。)
 一方ロシア側もまたゴローニンの抑留に対抗して、当時エトロフ島の開発を幕府から命ぜられていた高田屋嘉兵衛を、文化九年(一八一二)八月クナシリで航行中の船から捕えてカムサッカへ連行した。この時、高田屋嘉兵衛はロシア側に事の真相を訴え、帰国を認めてもらい、高田屋嘉兵衛の尽力により文化十年(一八一三)九月二十九日、ゴローニンはディアナ号に乗船し箱館より帰国の途につき一件はようやく落着した。