異国船内浦湾に出現

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 この事件から四ヵ月程度後の六月十八日、異国船がエトモ(室蘭)へ来航し松前藩の勤番の者はこれに発砲したが、異国船は応戦せず出帆した。藩関係者は元より住民一同ほっと安堵の胸をなでおろすのもつかの間のことで更に七月二十九日内浦湾へ外国船が渡来しユウブツ場所より箱館へ向け航行中の請負人戸沢屋孫右衛門の手船日吉丸を砲撃し積荷を奪取するという事件が発生した。天保二年という年は異国船打払令が積極的に蝦夷地に実施された感があり、幕府、松前藩、住民の緊張の様子がひしひしと伝わるような状況となった。
 異国船の内浦湾出現の状況について『通航一覧續輯、巻之百四十七、異国部一渡来』は次のように記している。
 
  一 去ル三日巳上刻頃箱館附六ヶ場所之内砂原村沖合江陸ゟ凡一里計相隔異國船一艘鷲之木村沖之方ゟ〓參候處、右砂原村沖ゟ引返しヱトモ之方江向貳里程沖江〓去り、同日未上刻頃鹿部境沼尻沖陸より貳里程相隔異國船一艘、亥之方江向〓通リ、尚又右船ニも可有御座哉、申中刻頃同所マツヤ崎ゟ沼尻之間陸ゟ一里程相隔一艘相見得、同四日巳刻頃鹿部領之内ホンヘツと申所、陸ゟ壱里餘沖合異國船一艘辰巳之風ニ而夘之方江〓通リ、同所三里餘沖合ニも一艘申酉之江向〓通リ、其節は都合二艘相見得候由、私居所ヘ箱館詰合之家來幷場所ニ而勤番之者共ゟ追々注進仕候ニ付、去月廿七日御届申上候、按するニこの書所見なし。箱館表江相廻し置候人數、物頭始其外共不残此度はヱトモ江出張申付、異國船之仕向ニ寄無ニ念打拂候様嚴敷申付置候、右之通箱館近邊江茂度々異國船相見得候ニ付、別段固人數出張申付候間、惣體之為取締家老共之内壱人箱館江差遣、夫々手配為仕候、此段御届申上候。
    七月五日
                                        松前志摩守