五稜郭進発

383 ~ 384 / 1210ページ
 この報せは諸隊に飛び、諸隊は五稜郭の外堀に続々集まり宿陣して榎本の指令を待った。
 清水谷府知事は、二四日夜から二五日の払暁にかけ箱館を脱して青森に退いた。
 翌一〇月二六日、「本道口の味方が勝利し、ついに五稜郭箱館の町々を手中におさめ、五稜郭城に繰込んだ。額兵隊陸軍隊も、速かに五稜郭に繰込むように」との使いが飛んで来た。
 土方は全軍の五稜郭進発を督したので額兵隊も上湯の川村を出発し、下湯川に至って民家を探索させると官軍の小銃一〇丁を発見収容した。
 新選組野村理三郎(二五歳)が、進軍の命令がないのに自分の隊を進めたので、春日左衛門がこれを咎めたが、野村は春日の言をきかなかったので、春日は怒って野村隊の前に立ちはだかって進軍を止めた。
 野村は大いに怒って「鷲ノ木を出発して以来汝の隊のみ先鋒を進み我輩等は後塵に甘んじてきた。我が率いる兵等を弱兵と侮ってのことであろう。今日だけは何といわれようと自ら先鋒をつとめてみせる」と意気込めば、春日も一層激怒して「速かに後陣に下れ、軍令を乱すつもりか」と叱咤し、激論の果はついには互いに刀に手をかけて戦うばかりに殺気立った。
 この騒ぎを見てとった伝習隊の喇叭指南役小泉喜三郎が両者を止めに入ったがおさまるものではない。ついに土方歳三も中に入り両者の言い分をうけ、すべて土方の預かりとしこの場は事なきをえたという一場面もあった。