昭和の献上昆布

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 昭和一一年秋、天皇陛下の北海道行幸をお迎えすることになった。北海道庁から尾札部昆布を御料品として差出すように内命をうけた尾札部村では、村長はじめ村会、漁業協同組合は村挙げての名誉として恐懼感激した。当時の様子を木直小学校の沿革誌に詳しく記されている。
 尾札部漁業協同組合は、御料品の謹製責任者として竹原長太郎に委嘱して官民挙げて協力した。
 謹製に当たって事前事後の万全を期し、全村民に臨時の種痘を実施した。また、腸チフスの予防注射(七歳未満の幼児と六〇歳以上の高齢者を除く)を実施した。
 すべての家庭用排水が海に注いでいることから、一切の汚物を海に投棄しないように厳達した。
 御料品の昆布を謹製する取扱者には、その家族をふくめて健康診断をして保菌検査・寄生虫検査をおこない、全村挙げて清潔方に努めた。とくに謹製者の周囲三三〇メートル(一〇〇間)の範囲内の衛生状態を保持するなど遺憾のないようにつとめた。
 後駒の〓竹原長太郎家前浜の昆布干場を区切り、新しい清浄なバラス(小砂利)を敷きつめ、大きな箕の子で柵をこしらえて七五三繩(しめなわ)を張り、「御料品」の立札を建て、日夜立番させた。
 昆布の採取は尾札部木直昆布海区の境界で、尾札部村の村場所として知られている日陰浜沖に選定した。
 謹製採取の日は七月五日と定め、この日午前七時、尾札部村役場上席書記上村浩太郎、尾札部中央青年団長山中熊一が採取積取船を率いて来着、木直・尾札部青年学校生徒ならびに青年団員が採取と積み込みを奉仕した。
 学校長(木直小)松代定蔵、(磨光小)野本力蔵は訓導星貞二・阿部直敏らの率いる児童生徒と、青年学校指導員西谷義治・汐谷勝雄、木直青年国長船登富一が率いる青年団員が海浜に整列して校旗・団旗を翻して昆布採取を厳粛に見まもった。
 実に謹厳壮観な献上昆布採取の状況であった。
 採取が終わると警護の船を前後左右に従え、後駒〓竹原の前浜に船を着岸して昆布を陸揚げ、御料品謹製の干場にひろげた。巡査、村役場吏員、村会議員、漁業組合役員が立番して干燥をみまもった。
 すべて昆布精製の手順に従い、干しあげ、しめし、手巻きして伸(の)し、一葉一葉品質を厳選して結束、これぞ天下昆布にはじない絶品を正副各一把ずつ仕上げた。
 これを尾札部村長田中翁正、磨光小学校長野本力蔵ら立会いのなかで、警官、村会議員、在郷軍人会役員の見送りをうけてタクシーで渡島支庁に謹納した。
 同年一〇月、北海道長官より尾札部漁業協同組合に感謝状が贈られる。さらに翌年二月、尾札部村長と同組合から謹製責任者竹原長太郎に感謝状を贈った。
 のち、天皇北海道行幸のときには、献納品として謹製して上納している。昭和一一年夏の献上昆布謹製は、記録写真が一連で保存されている。

御料品昆布採取


御料品乾場


御料品奉置所


謹製


御料品謹納