浅海増殖

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 昭和四年、駒ヶ岳爆発による沿岸の昆布礁被害に対し、国費の大きな災害復旧事業が実施されて以来、沿岸では、昆布礁の造成のため投石事業をすすめた。尾札部では戦前から岩礁爆破(破砕)もおこなわれていた。
 戦後、沿岸漁業の所得向上策として、各漁協では国の助成をうけ浅海増殖として岩礁爆破・投石などを始める。
 増殖方法の積極策として、投石は早く、文久年間(一八六一~六四)、山田文右衛門が勇払から新冠までの海中に投石して造成事業をおこなったのが知られている。また、明治二〇年、湯川村の坂田孫六による投石事業の成功がある。石材もいろいろで、川原の石や砕石場からの選定されたもの、そして戦後はコンクリート・ブロックなどいろいろある。岩礁爆破は、最も効果的だとされ、戦後三〇年前後は大きな役割を果たした。消極的方法として磯掃除、禁漁区の設定、被害対策など増殖方法としておこなわれた。

坂田孫六を讃える「連綿徳の碑」函館 湯倉神社