戦後三〇年ごろまでの定置網は、大型になるほど波浪と耐久力に弱く、ひと荒れするたびに流失してしまった。多くの資本をかけた大網でも、一夜にして海の藻屑に帰した。
しかし、昭和三〇年代に入り、ナイロン網が用いられる定置網の化繊の時代を迎えた。
魚の回遊もあり、魚群の探査もされるようになった。こうして昭和四〇年代に入ると、定置漁業は経営の安定にむかう。漁業保険の制度が設けられるなど、二〇〇海里時代を迎えて、養殖漁業とともに沿岸漁業の主役的位置を占めるようになる。
大型定置漁業生産高
(2)定置網の改良
昭和五六年一月、定置漁業者一日勉強会において南茅部町の大型定置漁業の現状が紹介された。講師として体験を発表した(七)村上漁場船頭松田吉春(大正八生)は、若くして船頭となり、熟練した船頭として知られている。
この時の内容は、週刊北海水産(昭和56・2・23)に掲載された。松田吉春は、郷土の定置漁業の変遷について日本定置会「ていち」(昭和56・12)に寄稿している。その概要を記す。
例えば三六尋の水深の所に建て揚げのところで三六尋、障子の位置で三九尋、胴張りで三八尋、以下昇りの根のところが三八尋、たまりから四〇尋となる。この水深のところに建て込みをする場合、建て揚げからカムエダンブまでは三〇間とり、土俵は長さ六五間のワイヤに、さらに太さ四・五~五分、長さ四五間のワイヤを二本付ける。一本のワイヤに各々四〇個、全部で二四〇個の土俵を下げる。土俵の位置の水深は大体二七尋である。
定置網(昭和58年)(1)
定置網(昭和58年)(2)
定置網(昭和58年)(3)
定置網(昭和58年)(4)
作図 松田 吉春
沖側 障子まで側面図
胴張りの立網、障子の立網は海の深さより七~八尋長い四五尋の立ロープで網を構成する。浅い所は網が余分にダブるので、建て揚げの長さは三八尋、海の深さ三六尋よりも二~三尋長い立ロープを使う。それに相当した沈子を配置して建て込みを行う。
沈子は、高比重網(目合い一尺五寸、二〇目掛け)を一番下に付け、さらに足棚として高比重ロープ=八分(二四mm)ロープ、ダンライン三〇kg、鉛二七〇kgの計三〇〇kg=を一本付け、五〇〇匁の鉛を三尺~一間に一個ずつ運動場を一周するように沈子として配置している。
運動場の沖側でなく建て揚げの方に鉛を付けておく。さらに、建て揚げのすみを切り上げて、立、立の要所要所に四〇~四五kgの石を下げる。
海の深さと同じところにもう一本高比重ロープを上と平行させて配置しておく。
上潮が八割以上なので、潮に流された網をいち早く元の位置に復元するためである。建て揚げの下に敷の足棚と同じような高比重ロープを平行して配置、沈子を付けて建てる。
網の長さは建て揚げから障子まで四〇間、口の上が四〇間、下が三五間、大昇り二〇間、外昇り四〇間、中だまり五〇間、一〇間の小昇りをかける。二〇日間ぐらいで網を入れ替えるので、操作に都合が良いように小昇りをつけておく。さらに落網を四〇間にする。
網幅は建て揚げが三五間、以下六五間、七五間にし、中だまりは三枚口二〇間に半建ち切りとしてオキ、オカに各八間ずつとし、さらに各五間とる。中だまりの建て揚げは一八間とし、余分に八間ずつ。
二重落としは三枚口を一五間とり、オキ、オカに各七間、余分に三間ずつ、最後の建て揚げは一五間プラスニ〇間ずつとする。
網地はサランを用い、網の全長二七五間、手網は三八〇間の規模である。
建て揚げに管通しは使わない。
(3)昭和59年漁場図
定置漁業免許状(昭和五九年三月一日 北海道知事 横路孝弘)
免許漁業原簿登録済
1 免許の内容
漁業種類 定置漁業
漁業の名称 まぐろ・いわし・さば・さけ定置漁業
漁業時期 三月一日から一二月三一日まで
漁場の位置 別紙漁場図のとおり
漁場の区域 別紙漁場図のとおり
2 存続期間
昭和五九年三月一日から昭和六三年一二月三一日まで
3 制限又は条件
(1)敷設する身網の数は一個でなければならない。
(2)三月一日から三月一〇日までの間は、網を敷設してはならない。
(3)九月一日から九月一四日までの間及び一一月三〇日から一二月二五日までの間において、さけが漁獲されたときは、直ちに海中に戻さなければならない。
(4)一二月二六日から一二月三一日までの間は、漁獲してはならない。
(5)さけ再生用新魚に不足が生じるおそれがある時は、知事は、当該親魚の確保のために必要な措置を指示することがある。
南 定第1号 | 南茅部町字大船三四七番地の三 | 大船漁業協同組合ほか一名 | 〓野村水産株式会社 |
2 | 臼尻二四五番地 | 野村昭夫ほか一名 | 〓野村水産株式会社 |
3 | 臼尻一五四番地の二 | 臼尻漁業協同組合 | |
4 | 安浦五七番地 | 加賀谷武彦 | |
5 | 川汲二五三番地 | 川汲漁業協同組合ほか一名 | 張磨 進 |
6 | 川汲二五三番地 | 川汲漁業協同組合ほか一名 | 張磨 進 |
7 | 川汲二五三番地 | 川汲漁業協同組合ほか一名 | 沢中義秋 |
8 | 川汲二五三番地 | 川汲漁業協同組合ほか一名 | 沢中義秋 |
9 | 尾札部五〇二番地 | 尾札部漁業協同組合ほか一名 | 村上勝四郎 |
10 | 尾札部五〇二番地 | 尾札部漁業協同組合ほか一名 | 杉谷 正 |
11 | 尾札部五〇二番地 | 尾札部漁業協同組合ほか一名 | 佐藤忠一 |
12 | 尾札部五〇二番地 | 尾札部漁業協同組合ほか一名 | 佐藤忠一 |
13 | 木直五二三番地 | 小田原顕一ほか一名 | 木直漁業協同組合 |
14 | 木直四三一番地 | 木直漁業協同組合ほか一名 | 本間一雄 |
15 | 木直五〇四番地 | 有限会社〓佐々木漁業部ほか一名 | 木直漁業協同組合 |
16 | 木直四三一番地 | 木直漁業協同組合ほか一名 | 小田原梅男 |
17 | 木直四三一番地 | 木直漁業協同組合ほか一名 | 尾上勝美 |
18 | 木直四三一番地 | 木直漁業協同組合ほか一名 | 小田原梅男 |
19 | 木直四三一番地 | 木直漁業協同組合ほか二名 | 佐藤忠吉 斎藤恒男 |
20 | 木直四三一番地 | 木直漁業協同組合ほか二名 | 佐藤忠吉 斎藤恒男 |
南茅部町における漁業権設定図 (南茅部郡 昭和61年(漁業の概要)
南茅部町海面区漁業権一覧 その1 渡島支庁 渡島海区漁業調整委員会 昭和59.3.1~63.12.31
南茅部町海面区漁業権一覧 その2