木直 山口千太郎(明治三五生)談

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 〓山口で野田追に鰊網たてたのは明治三五年、私の生まれた年からだときいていた。三〇間の角網で商売した。この年は大々漁だったという。大正五年まで経営した。
 三月の末になると胴海船・三半船(保津船と同じような大きな船)で、帆をかけて灘をいった。順風なら木直から野田追まで一日で行く。日和風向が悪いと櫓をおして櫂で漕いで熊か砂崎(砂原)で一したりして、三日もかかって行くこともあった。