[尾札部村漁業組合創立]

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 明治三五年の漁業法の施行にともない、各規則の整備もなり、尾札部村は従来の組織を改組、新しい漁業組合令に基づいた漁業組合規則を決議して、明治三九年一二月、尾札部村漁業組合を創立した。全道的にみてその創立の順位は早く道内で五番目、渡島管内では同年一月の落部村についで二番目であった。
 
明治三六年  岩内村漁業組合創立
明治三七年  仙法志村漁業組合創立
明治三九年  歌棄村漁業組合創立
  〃    落部村漁業組合創立
  〃    尾札部村漁業組合創立
  〃    小谷石村漁業組合創立
 
 尾札部村漁業組合規則は六五条から成り、組織内容の規定も、その体裁を整えたものといえる。
 理事役員は、従来どおり古部・木直・尾札部川汲より各一名を選任し、組合長は理事の互選としている。組合長は月額を給するが、他の理事・監事は名誉職とするとうたっている。
 会計年度については、従来までの暦年を改めて四月より翌年三月末日までとした。
 昆布など海藻採収の海区についても、古部・木直・尾札部川汲のそれぞれを明確にうたっている。
 さらに遭難や救護ならびに救恤資金についても規則に定めている。
 組合員の資格の一つである年齢を一五歳と明示しているのも目立つ内容である。
 明治三五年にいたって高坂信次郎(元治元年生・一八六四)の名が登場する。高坂は名古屋の人で、若くして古部小学校の教員として赴任し(明治二八年)、部落の信望にこたえて古部部落の代表となり、総代として尾札部村漁業組合の会議に出席した。その指導性をかわれ教員を退職して漁業組合の書記となり、古部より尾札部に転居し、明治三九年の尾札部漁業組合の改組創立に尽力し、初代組合長となった。