道庁は、明治三七年中、道内の官林のなかより、地積約二〇万町歩を選定して地方費財産に編入した。
これは北海道公有林の模範とするとともに、地方費財産の造成を目的としたものである。三八年五月、七ヶ国九支庁一五郡一三団地、一八四、九七二町歩を予定して、経営調査と測量のうえ引渡されたのは、予定地積より三、七七五町一反八畝二歩の増であった。
同年、渡島国茅部郡内の模範林全部、地積七、七〇二町一四歩の施業案調査をおこなった。
監護員駐在所
臼尻と幾春別に北海道地方費森林監護員駐在所を設置して、森林の監護につとめた。(「殖民公報」32号)
函館市誌(昭和一〇)に、「明治三九年、北海道庁は模範林を設定した。郷土の万畳敷模範林がそれである。道庁は湯川と臼尻に二監護員駐在所を置いた。明治四〇年四月、はじめて湯川に地方費森林事務所が新設された」と記している。
三八年に駐在所が設かれ、四〇年に湯川森林事務所の管轄に属したとみられる。
基本財産の育成
河野常吉「茅部郡」に、尾札部村について記している。
○基本財産
山林==立木ヲ払下グ昨年度ヨリ五十銭以前ハ四十銭、村民ニ払下グ薪材トナス年ニ二百円内外ノ収入アリ樹種ハブナ、ナラ、イタヤ等ノ濶葉樹多ク、五葉松、椴松、オンコ等ノ針葉樹モ少ニ見ユ、林相良好ナラズ、年々伐採スルヲ以テナリ
二十區ニ分チ輪代法ヲ以テ払下グ、天然稚樹保護養生ス、別ニ裁植ヲナサズ
針葉樹ハ主ニ用材トナス、二百尺〆内外ヲ払下グ、漁業及建築用材トナス
針葉樹 マツ・オンコ・トド 一尺〆 三十五銭
闊葉樹 セン・シコロ・ホー 〃 三十銭
貸付地==畑貸付地積一五一、九六一坪実測ノ結果二十九町四反一五歩、四十年四月全部付與
小作料昨年迠二十五銭、本年ヨリ三十銭
基本財産
同じく「茅部郡」稿に、臼尻村の村有林と学林について記している。
○基本財産ノ事(臼尻村)
学林ノ林相ハ良好ナラズ、稍中位ナリ樹木ハ山毛欅多ク楢槭等之ニ次グ、今迠ハ僅ニ薪炭材ヲ僅ニ供給シタルニ過キズ今后ハ一定ノ伐採區域ヲ定メ天然稚樹ヲ保護養成スル予定ナリ
学林木払下ノ事ハ今迠部長ニ委任シ置キシガ今后直接役場ニテ取扱フナリ
薪材一敷払下 本年ヨリ五十銭 昨年ハ四十銭
目下学林内ニ炭焼二名在リ
当村ニテ畑地ヲ小作料徴シテ貸スモノ少シ
大正七年の町村誌によると、臼尻村の村有山林は四八七町五段三畝一六歩で、その内訳は濶葉雑木林三三七町四段六畝二歩、植樹地一五〇町七畝一四歩であった。
植樹種類は、杉五三万本、落葉松五万本、栗一万本で合計五九万本と記されている。
臼尻村村有林 (大正初期)
臼尻村字大舟二一 (学林) 一三七町三反五畝二二歩 濶葉樹
(大船沢) (一三七町三反二畝一六歩)
字大舟三六 六四町七反七畝二五歩 杉二三万本
三七
三八 落葉樹二万本
字大凧泊八 二一町七反〇畝二三歩 杉一〇万本
落葉松二万本
栗五、〇〇〇本
熊泊村字黒羽尻 (学林) 一六六町三反〇畝〇一歩 濶葉樹
字白井川一 三〇町四反一畝〇四歩 濶葉樹
字前山四四 三町二反〇畝二五歩 濶葉樹
字磯谷 九 一反八畝一〇歩 杉二〇万本
落葉樹一万本
栗五、〇〇〇本
字赤揚原 六三町五反八畝二六歩
村有林面積合計 四八八町五反三畝一六歩
濶葉雑木林 三三七町四反六畝〇二歩
植樹林 一五〇町〇反七畝一四歩
(大船小学校沿革誌郷土資料)