〔警察の沿革〕

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 警察は明治五年、邏卒と呼ばれたのが北海道警察のはじめである。
「巡邏査察」をする官吏の意味から「巡査」の名称となった。初めて函館に五一人、札幌に一八人置かれた。「武器は木剣(ぼくけん)のみ、捕り繩(とりなわ)、呼子笛(よびこぶえ)および革胴締(かわどうじ)め」を給与される。
 明治五年八月 函館邏卒自守条目が制定され、「第八条 ……屯所内に一名の不寐番を極(き)め置(お)き、巡邏の時刻を計り、夜中の取締等致すべき事、但し交番の儀は、屯所の適宜に可定事(さだめべきこと)」とされ、「当番を交代する勤務の拠点」の意味から交番の名称となり、開拓使函館支庁が、地蔵町巡査交番所を設置した。これが北海道の交番のはじめである。
 警備査察を職務としたことから警察とよばれるようになった。
「警察手帳」は明治八年一二月公布の「開拓使行政警察規則」に「巡邏中、職務に関する大小の事故は逐一手帖に記し警部へ報知すべし」と定められ、このころから警察官の必携の一つとなった。
 明治一二、三年、村々に戸長が任命されると、戸長は警察や浦役場の役なども兼務していた。
 浦役場は、海上における船舶の取締りや事故などに関することを所管した。
「明治一六年五月 茅部尾札部村巡査派出所敷地トシテ同村人民ヨリ寄附ノ分地種組替官用地第二種ヘ編入」、と北大所蔵「北海道史函館県地理」の項に記されているのが、郷土の警察に関する記事のはじめである。その地番や面積は不詳だが、川汲分署に継ながるものと思われる。