公立病院開設を建議

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 明治一九年、臼尻・熊二ケ村戸長篠田順は、伝染病によるいたましさと無力さを目撃するにあたり、僻村の医療のおくれを痛感して茅部山越郡長桜庭為四郎に対して、臼尻地方への公立病院開設の急務を建議したと「臼尻沿革誌」(篠田順編著)に記している。
 五月一二日、北海道庁参議官青江秀が道内巡回のため来村したとき、尾札部村戸長役場に小憩の青江秀に対して臼尻・熊二ケ村戸長篠田順は、臼尻地方の人びとが伝染病などで死亡する者が多くその窮状を訴えた。
 そして当地方への公立病院の設立の急務を訴え、官よりも相当の補助を請わんため「其筋へ助言アランコトヲ乞フ」と青江参議官に対して切に尽力を懇願した。
 青江秀はその著「北海道巡回紀行」にこのときの篠田戸長の心情を「□気刻切、憂苦面ニ顕シ、咨嗟止マス。実ニ戸ノ長タルニ負カサルナリ」と感銘をこめて記している。
 郡長桜庭為四郎は『大イニ採用セラルル所トナリ』と、早速、郡書記阿部正義に当地への出張を命じて、篠田戸長と共に鹿部村以東尾札部までの各村聯合病院の設立について両村を説き、直ちに各村の総代人の同意を得て病院設立方を郡役所を通じて官に申請した。
 このときに同年一一月、尾札部村木直に天然痘が発生して多くの罹患者がでたことが尾札部村戸長役場より郡役所に届出があった。茅部郡役所は即刻、病院長村岡格に予防救済のために尾札部村出張を命じた。
 村岡院長は二三日朝、森村を出発して同夜臼尻村に着き同村に一し、翌二四日朝、臼尻を出発して尾札部村戸長役場に入り、ここで艀船で木直にいたった。
 すでに三名の者が死亡してすべて火葬にふされていた。目下の罹患者一五名でうち三名は重症、他は軽症であった。罹患者はすべて未痘者であった。よる患褥に近接の三〇歳以下の男女に、のこらず種痘を施した。二五日、木直小学校の生徒全員に種痘がなされた。
 村内一般に対して惣代人から種痘の必要性を説諭させ、三〇歳以下の男女のこらず種痘を施した。このとき種痘接種の木直村民は一二九名にのぼったという。
  「猶不日巡回医相沢良恂、其感否ヲ検シ、残員接種可致旨ヲ示ス」
 村岡院長は二六日帰途につき、臼尻では天然痘患者二本柳某を診察した。同人は幸い種痘済であったが、木直の天然痘患者の家と交流があったという。
 さらに熊村蹴勝浜で、腸チフス患者五名を診察している。
                    (資料提供/森町史編集室「村岡格 臼尻村地方出張日記」)

茅部病院長 村岡格 (森町史資料室所蔵)