〔龍王寺 寺号公称〕

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 明治以前、村々や小字の共同墓地に地蔵堂が建てられ、臼尻には庵室があった。明治一五年、日蓮宗龍王寺が寺号公称をうけて郷土で始めての寺院建立となり、以後、続々と各宗派の寺院も開基を迎えることになった。
 日蓮宗龍王寺の大過去帳に記される創立開山当時の起原書並びに由緒の記録は貴重な文言である。
 いわく、開祖広木日盛上人であり、創設の丹精者は加我千代、境内地は加我久次郎の寄進として壇徒中の一席と記す。開基の総世話人は加我金左衛門なりと記す。時の各村々の世話人の名も記されている。
 
  日蓮宗 龍王寺
   「大過去帳」
  当山創設者 明治十五年十一月七日
  開山    日盛 花押
     権少講義
       智證院
  我所有福業今世若過世
  南無釈迦牟尼仏 八海山龍王寺
          創立開山
  南無妙法蓮華經 日盛 花押
 
  南無日蓮大菩薩
  及見仏功徳盡回向仏
  山寺号公称之許可有而 廿八年建設 落成ス
     旧檀立善講寺両能□
     百八十七祖
     當山寺号公称及□
     創立
  木直檀中司張者ノ一ハ
     安田留三郎 也
 
  世話方
      当山創設第一
      丹精之司副者
      加我千代落成後
      廿四年十二月七日寂ス
   當山 正境内寄附当村
      加我久次郎永納地
      依テ当山開基檀中
      正一席タル者也
   当山 順開基タル司者
      加我金左ヱ門ナリ
   当山 順次開基タル司ハ
      小林金太郎ナリ
      建設致 尤モ
      庫裡建築
       日盛獨立之
       丹精タル者也
     川汲 加我 馬吉
        福嶋 市三郎
     板木 加賀谷 和市
     見日 荒木 宗(惣)吉
     仝  荒木 房吉
     木直 伊予部 寅吉
     仝  宮間 寅吉
     見日 荒木 梅次郎
     新仝 杉林 浅吉
      古檀 廿戸ノ節
       四方之信者□□
       上場等有志
       金ヲ積集及
         並秋本長吉外有志中
 
       本願施主
          根嵜 和泉丈吉
  当山     熊
        他檀 第一ノ有志者
         椴法華
           荒木 藤八
         当山建設□□有志
         無比□之有也
        熊村改宗檀中
        拾余戸ニテ□鏡
        寄附致ス本願主
          上金沢伊三郎並ニ濱谷氏
          〓  外有志中
        当山
         宗祖大士  丹精有志者古平郡
          御尊像  古平□□寺□□□
         三宝御尊像 施主 女人講中
        本堂畳 参拾枚 熊
         施主 檀家一同
          当山三世日正代