〔埋蔵文化財保護〕

769 ~ 773 / 1034ページ
 昭和三八年、函館中部高校による黒鷲・八木遺跡の試掘調査が行われたのが始めである。
 昭和三九年四月、南茅部町文化財保護条例が制定施行された。町の文化財の調査と、確認されている遺跡の台帳を作成した。
 同年一一月七日から同月一一日にかけて、北海道高等学校文化連盟函館地区郷土史考古学部会による第一次八木遺跡調査が実施された。翌昭和四〇年、第二次八木遺跡の発掘調査が一〇月一四日から一八日にかけて実施される。尾札部秋本豊勝所有の畑三〇平方メートルが発掘調査された。
 昭和四二年一一月四日、美呂遺跡調査。双見二六〇番地―二 高谷吉三郎山林五〇平方メートルの発掘調査が行われた。
 昭和四四年四月、臼尻小学校改築工事の造成地で、巨石と葺石跡が発見され、千代肇、吉田栄一により緊急遺跡調査を行った。この年九月、臼尻小学校と町営住宅の裏山にある町有地の苗圃の造成工事で遺跡が発見され、緊急調査を行った。

臼尻小学校遺跡 昭和44年


臼尻小学校遺跡「葺石」の状況 昭和44年

 昭和四五年、尾札部漁協から譲りうけた信用部の建物を活用して、南茅部町郷土資料館を設けた。狭いが、遺跡出土品や民具の展示と収蔵に供した。しかし、昭和四八年、発足時の広域消防の附属施設となり、寸時の資料館として終わった。
 昭和四五年九月、市立函館博物館森川不覚による町内の仏像の調査をはじめ、昭和四七年、これを冊子にまとめて発行した。
 昭和四六年、川汲ハマナス野の一部が公共用地となったので、函館市立博物館千代肇ほか関係者の指導をうけて分布調査を実施した。
 函館地区郷土史考古学部会の夏休み合宿研修にあわせて、大きな協力をうけた。
 調査にあたって公共用地の東側の一画に遺跡を確認して、発掘調査を行った。
 千代肇・弘前大学生遠藤正夫・立正大学生小笠原忠久により調査報告書を作成した。
 昭和四六年のハマナス野遺跡の公共用地の分布調査の直後に、急拠、福祉センターが建設されることになる。昭和四八年、役場庁舎が移転されて、ハマナス野周辺は急速に市街地化の傾向がすすんだ。
 北海道教育委員会の指導のもとに国・道の補助をうけて、本格的な発掘調査計画が作成された。この国・道の補助事業を進めるうえで、昭和四八年四月、専門職員を採用し、北海道大学助教授吉崎昌一の指導のもとに、長期にわたる遺跡調査が開始された。
 ハマナス野のほかに町内各地で土地開発に伴う土木工事が進み、そのたびに緊急とよぶ遺跡調査が次つぎに行われることになる。
 確認・未確認の遺跡が、無断で荒廃されることを防ぐため、土地転用の許認可手続きを担当する農業委員会や町建設課などに協力を依頼して、庁内での事前協議を可能にした。また、遺跡(埋蔵文化財包蔵地)の分布調査を行い、遺跡台帳を整備し、土地所有者にその実態と対応(留意事項)内示をして事前協議の必要性を告知した。

(表)地区別埋蔵文化財包蔵地一覧表