年 代 江戸時代 宝暦十一年(1761)
形 状 高さ二〇八cm ヨコ六一cm タテ六一cm
形 式 保満舎利塔
銘 文 奉寄進 舎利塔 宝暦十一辛巳天 五月吉日
白市住 施主 木原保満
概 要 八王寺観音堂裏の山道を登ると木原保満が寄進した舎利塔がある。
円満寺は天平時代の開山とされ僧行基が立ち寄り十一面観音像(市重文)を刻み本尊とした。伽藍は広大で御影堂、多宝塔、九品堂など多数の堂宇が軒をならべていた。安芸国分寺の仁王門(市重文)の仁王像はここから移されたという。
舎利塔の形式は後述の常楽寺と同じ。
(用語解説 岩谷観音堂 保満舎利塔 参照のこと)
[円満寺跡舎利塔]