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反花座 かえりばなざ
 蓮弁の先端が下をむいたものを反花といい、反花を上端に置いた台座を反花座という。
 
頭崎城跡 かしらざきじょうあと
 (県史跡)
  頭崎城は高屋町貞重にあり比高約200mで県内では郡山城に次ぐ大型の城で、平賀氏三城の最後の城である。
 平賀氏十五代の弘保は、大永三年(1523)鏡山城が落城したのを見て、居城白山城では戦国時代を生き延びられないと考え、この年頭崎山へ築城をはじめた。
 天文五年(1536)大内義隆方は弘保の子興貞の守る頭崎城を攻めるが落城せず。この戦勝記念として頭崎神社を建立したという。
 
解剖碑 かいぼうひ
  碑文は漢文体。同所の中町逸平という人が肝臓ガンを患い死後解剖することを遺言し、明治二十三年(1890)執刀された。医学の向上に貢献した。
 
鏡山城跡 かがみやまじょうあと
 (史跡)
 比高約100m、山頂を中心に東西南北約300m四方に展開し東西に延びる尾根の両側は大堀切で遮断されており、南北朝の築城とされ、大内氏の東西条、分国支配の城であった。
 大永三年(1523)出雲・尼子氏に攻められ落城、ときの城代が蔵田備中守。城の管理規則である「安芸国西条鏡城法式条々」(大内家壁書)は最古の壁書である。
 城には第1郭、第2郭、第3郭、第4郭があり、「御殿場」「中のダバ」「馬のダバ」「下のダバ」と呼ばれている。
 主郭は第1郭、第2郭で形成し、第3郭は主廓へ登る重要な郭で南斜面は畝状竪堀群を設けている。
 
掛 石 かけいし
 かかりいしともいう。酒製造過程で酒粕を絞るための棹に下げる重りのための石。
 江戸時代の酒の搾り方であった天秤搾りに不可欠だったのがこの掛石である。
 天秤棒の先端に縄で吊り下げて使われたが、縄が滑って落ちることがないように、石の中ほどに切り込みが彫られているものもある。
 
賀北部隊 かほくぶたい
 第二次大戦末、賀茂郡北部を護るための国土防衛隊。原爆投下後広島市の救援に赴き貢献した。その活動はNHKの特別番組で紹介されこれを契機に原爆医学が向上した。
 
菅茶山 かんちゃざん
 江戸後期の漢詩人。名は晋帥(ときのり)本姓、菅波氏。備後神辺の人。京都の那波魯堂に学び、帰郷して廉塾を開く。詩に長じ、宋詩を唱道。頼山陽の師。著書「黄葉夕陽村舎詩」「筆のすさび」など。(1748~1827)