東広島市立図書館/東広島市デジタルアーカイブ
④東広島市の市旗はいつ・どのように作られたのだろう?
東広島市の市旗はいつ決まったのでしょうか?
だれが市旗をデザインしたのでしょうか?
市役所の人にきいてみました。
入選決定 【資料】市章・市歌の入選決定を伝える記事
(出典:『広報東ひろしま』1974年8月)
東広島市の市章/市旗は1974年に作られました。1974年に公募(こうぼ)され、373点の作品の中から、尾道市の徳山繁晴(とくやましげはる)さんの作品が採用されました。
のんたの画像 市役所の人
徳山さんは新しくできた東広島市へのねがいも込めてデザインを考えたんだね。
でも、1974年の東広島市はどんなまちだったのだろう?
どんなまちを目指していたのだろう?
のんたの画像
1974年当時の東広島市は、どんなまちを目指していたのでしょうか?
1974年当時の東広島市の計画 【資料】1974年当時の東広島市の計画
1974年、東広島市は西条・八本松・志和・高屋の4町が合併(がっぺい)しました。これにより自治体が発展(はってん)することを目指していました。
また、広島大学が広島市から移転してくることが決まり、「研究学園都市」を目指していました。
また、1985年にテクノポリス法ができて、東広島市が広島県内の対象地いきに選ばれました。テクノポリスとは、高い技術(ぎじゅつ)の集まった都市のことです。
のんたの画像 市役所の人
まだ工業団地(だんち)や広島大学などもなかったころに、東広島市は色んな計画をしていたんだね。
のんたの画像
1974年から今まで、東広島市の市域はどのように変わったのでしょうか?
地図でどのように合併してきたのかをかくにんしましょう。
地図 【資料】1960年の広島県
(出典:広島県立文書館「広島県立文書館収蔵文書展 広島県の市町村合併」(2016年))
この頃はほとんどが「町」だね。いくつかの町をまとめて、「郡(ぐん)」という分け方をしていたんだ。この地図で東広島市は見つかるかな?
のんたの画像 地図 【資料】1974年の広島県
(出典:広島県立文書館「広島県立文書館収蔵文書展 広島県の市町村合併」(2016年))
このとき、西条・八本松・志和・高屋の4町が合併して、東広島市が誕生したんだ。
のんたの画像 地図 【資料】2005年の広島県
(出典:広島県立文書館「広島県立文書館収蔵文書展 広島県の市町村合併」(2016年))
さらに黒瀬・福富・豊栄・河内・安芸津の5町が合併して、今の東広島市になったんだね。
のんたの画像
市旗が作られた1974年では、東広島市は西条・八本松・志和・高屋の4町だけだったんだね。当時は海のないまちだったということだね。今の東広島市とはずいぶんと様子がちがいそうだな。
のんたの画像
今の東広島市は、どのようなまちを目指しているのでしょうか?
【資料】いまの東広島市が目指すまちのすがた
(出典:東広島市HP)
【資料】いまの東広島市のまちづくりのほうしん
(出典:東広島市HP)
東広島市は、2030年に向けて、目指すまちづくりのすがたを「来に挑戦する自然豊かな国際学術研究都市~住みたい、働きたい、学びたいまち、東広島~」と定めているよ。
「まちづくり大綱(たいこう)」として、「仕事づくり」や「暮らしづくりづくり」など、まちづくりの5つの方針をかかげているんだ。
くわしくは、下のしりょうをかくにんしてみよう!

「第五次東広島市総合計画(だいよじひがしひろしましそうごうけいかく)」
「東広島市市勢要覧(ひがしひろしまししせいようらん)」
のんたの画像
市旗がつくられた時代に、東広島市がどんなまちになろうとしていたか分かったかな?市旗には、つくられた当時のまちの様子や人々の考え方が表れているんだね。
のんたの画像
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