(出典:日本国有鉄道編(1972)『日本国有鉄道百年史 第4巻』日本国有鉄道.を基に作成) 今の山陽本線(八本松~瀬野駅をふくむ区間)をつくったのは、かぶ式会社山陽鉄道でした。その後、会社の鉄道から国の鉄道にかわり、JR西日本旅客鉄道株式会社にひきつがれています。
日本で初めて鉄道が作られたのは、1872年(明治5年)でした。その22年後の1894年(明治27年)に、今の山陽本線がつくられました。外国のぎじゅつを取り入れながら、全国に鉄道が広がっていきました。
1892年(明治25年)に、神戸(こうべ)駅から糸崎(いとざき)駅までは鉄道が完成していました。そこで1893年(明治26年)に広島方面に鉄道をのばす工事がはじまり、1年後の1894年には、糸崎駅~広島駅間が完成しました。当時、三原駅から広島駅の間には、本郷(ほんごう)駅、河内(こうち)駅、西条駅、瀬野駅、海田市(かいたいち)駅しかありませんでした。また、この区間には1日6本しか走っていませんでした。次の年の1895年(明治28年)、白市(しらいち)駅と八本松駅ができました。
「瀬野八」のれきしが分かってきたよ。でも、なんで難所をさけなかったのかな。もっと坂の角度がゆるやかな場所に鉄道を通せばよかったのに。