二 考古学研究の展開過程

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 青森県における考古学研究は、記録によると江戸時代に始まり、明治時代に入って、東京大学(当時東京帝国大学)を中心とした人類学会のメンバーによる亀ヶ岡(かめがおか)・二ツ森(ふたつもり)などの遺跡調査を起点としている。次いで、県内の研究者による独自の調査研究も始まるが、残念なことに、県内の研究者は後継者の育成に励まなかった結果、大正はもとより昭和の時代も、しばらくは再び在京の研究者に対する協力に終始する体制が継続した。県内研究者による調査が開始されたのは、ようやく昭和の後半に入ってからである。今ここに、本県の考古学研究の歩みを区分すると、
 第Ⅰ期は、江戸時代から明治維新を経て、人類学会創設の明治十七年(一八八四)まで、物珍しい品々(遺物)の収集・鑑賞の時代。
 第Ⅱ期は、人類学会創設から県内の研究者が中心となって調査が開始される昭和三十三年(一九五八)まで、在京の研究者による調査と、それに協力しながら調査研究の方法などを学んだ時代。
 第Ⅲ期は、昭和三十三年(一九五八)の弘前市教育委員会による、岩木山麓緊急発掘調査開始から今日に至るまで、県内研究者による調査研究の進行時代。
 以上のように、Ⅰ~Ⅲ期に区分を試みたが、なお数期に細分することは可能である。これら先覚者のたゆまぬ努力と苦労をしのびながら、本県考古学研究の歩みを振り返ってみよう。